第1回広告エッセイ大賞受賞作品

大賞 「好きな情報だけに包まれて~セレンディピティの危機~」      仲 貢

息子は通学時にヘッドホンステレオでいつも好きな音楽を聴いている。かつてはレンタルCDを録音、今はネットでダウンロードして持ち歩いている。「いつも好きな音楽に包まれていたい」というキャッチコピーがあったかどうかは定かでないが、まさにそんな生活である。テレビ番組もおおよそHDRに録画しているから、極端に言えば、好きな時間に好きな番組だけを見ていることになる。私はといえば、朝の通勤時間はラジオで『ありがとう浜村淳です』をぼんやり聴きながら電車に乗っている。いいなと思う話題もあれば、興味のない情報もあるけれど、意外な発見があったり、自分からは決して聴こうとしない音楽も耳にする。テレビも妻が見ている番組を、ぼんやり眺めていることがある。今や、Web2.0ということで、情報も広告もプッシュ型からプル型へ変わりつつあり、どの広告に接触するか、見聞きするかの主導権は生活者の手に委ねられたといわれている。けれども、プルした情報だけでは、予想外の出会いのチャンスがないなぁ、もったいないよね、などと思っていた。
そんな時に、「セレンディピティ(serendipity)」という言葉に立て続けに出会ったのです。しかも、まったく異なるジャンルの書物で。一冊目は、サイモン・シン著『ビッグバン宇宙論』で、今や常識となっているビッグバン理論が天文学の歴史の中でどのように発見され証明されてきたかを書いたもの。もう一冊は、久石譲著『感動を作れますか?』で最近の作品や作曲法、音楽への思いを綴ったものです。
「セレンディピティ」とは、偶然によって思いがけない幸運に巡り合うこと。この“偶然の幸運”は、三人の王子が旅をしていると、偶然と賢慮により探してもいなかったものがいつも必ず見つかる『セレンディップの三人の王子』というおとぎ話が語源とか。実は「セレンディピティ」という現象は、発見や発明の歴史ではよくあることらしい。例えば、ズボンにくっついた棘だらけの植物がヒントになって発明されたのが、マジックテープ。強力な瞬間接着剤の開発に取り組んでいたところ、簡単に剥がれてしまう弱い接着剤を合成してしまったことから生まれたのが、ポストイットというぐあいに。バイアグラも医学上のセレンディピティ。この薬はもともと心臓病の治療薬として開発されたが、臨床試験に参加した患者達が、心臓病には特に効果がなさそうだったにもかかわらず、未使用分の薬を断固返したがらなかったことから、研究者達がこの有用な副作用に気づいたそうだ。一方、久石氏も本の中で「朝、家でラジオがついていて、たまたま耳にした曲から音の使い方にヒントを得たりするなど、日々の細かいアイデアレベルで、偶然の出会いを楽しみ、それを自分の仕事に活用することがよくある」という意味のことを書かれている。
この言葉に出会って以来、我が意を得たりではないが、私は人に会うたびに「セレンディピティを無くしちゃいけない」という話をしている。結構、他の人たちも同じような思いを持っていたようで、ある人は「少なくとも月に一度は大きな本屋をうろつくようにしている、思いもかけない本に出会いたくて」と話してくれた。
もはや、プルした情報だけでなく、グーグルのGメールを利用している人にはメール文の単語から類推して、送信者の興味のありそうな広告が自動的に配信されてくる。ますます生活者が接する広告は、興味のある広告だけという時代になりそうである。暮らしと広告の関係は刻々と変わりつつあるのかもしれないが、たまにはヘッドホンを外して街の雑踏や自然の音に耳を傾けるのはどうだろうか。テレビだってラジオだって、リモコンを脇において、しばらくは送り届けられる番組やCMに身を任せてもいいのではないだろうか。好きな情報だけに包まれるのではなく、もっと好きな情報に出会うチャンスに包まれた暮らしも捨てがたいと思いませんか。
私は広告制作に携わる側の人間です。関心を引き、興味を持ってもらえる広告を作ることが第一ですが、それに触れるチャンスを閉ざすことが生活者にとっていいことかどうか、ちょっと立ち止まって考えていただきたいと思っています。
“偶然の幸運”が、そこまで来ているかもしれないのだから。

優秀賞 「突き刺さるコトバ」             中川 真仁

1995年1月17日の早朝、それは起こりました。関西広域を襲った阪神・淡路大震災。
当時、私は15才。高校1年生でした。大阪市内に住んでいたので、震度自体はそれほど大きなものではなかったのですが、マンションの8階だったこともあって、食器はほとんど割れてしまい、テレビも画面が割れて壊れてしまいました。「エラいこっちゃ」直後、父親が言った言葉です。普段は大人しくて、まあまあ冷静な父親だったので、彼がそんなことを言ったことで、私もすっかり動揺してしまいました。友達は大丈夫だろうか?祖父母は大丈夫だろうか?心配は尽きませんでした。

甚大な被害をもたらしたのは、周知の通りです。気がつくとテレビCMはほとんど公共広告機構のものになっていました。当時の私は、広告代理店とかクリエイティブとかまったく知りませんでしたので、ACのCMが大量に流されていたのはかなり異様な光景でした。繰り返し流れる「空き缶のポイ捨てやめよう!」というコマーシャル。震災の被害が膨らむにつれ、そのCMにどんどん違和感を覚え始め、「なんかヤな感じやなぁ」と思ったのを覚えています。
父親の仕事は倉庫業。運が悪いことに外国から輸入したビールが、何百ケースも被災地の倉庫に保管されていました。震災から数日が経ち、そのビールがすべてダメになったことを聞きました。そして、私は父親と一緒にそのビールの片付けについていくことに。「空き缶のポイ捨てやめよう!」の映像に対して、「もう、やかましいわ!」と毒づいていました。
実際に神戸に行き、被災地の惨状を目の当たりにしました。映像で見るより自分の目で見た方が、悲惨さは伝わってきます。頭で考えるより、体が感じるということでしょうか。アスファルトはおかしなカタチをしていましたし、どこへ行ってもほこりっぽい感じがしました。早朝から作業をし、商品にならなくなってしまったビールを全て片付け終わったのは夜8時頃だったと思います。
その日の夜に見たCMに私は心を奪われました。昨日まで「空き缶のポイ捨てやめよう!」だったCMのかわりに流されていたものです。特にビックリしたのは、そのCMの最後に出た文字でした。

「人を救うのは、人しかいない。」
なんて人の気持ちを汲み取った言葉なんだろう。少しだけ、涙が出ました。胸がちょっと、あったかくなりました。神戸で被災して、仮設住宅にいる親戚のことが思い出されました。一緒にビールを片付けた、父親の同僚のことが思い出されました。コマーシャルのことをちゃんと意識し始めた、最初の瞬間でした。広告って、すごいチカラを持ってるんだなぁ、と。

あれから11年。現在、私は広告をつくる側の人間になっています。今思えば、あの震災支援CMがなかったら、この仕事を選んでいなかったと思います。災害時のメッセージだったとはいえ、あんなに人のココロを射抜いた広告はまだ見ていません。制作側の立場から考えても、消費者の目線で見ても、今流れている多くのCMは、恩着せがましかったり、コミュニケーションが一方通行だったりするのは否めないと思います。だから、震災支援CMとまではいかないにしても、ちょっとでも誰かを勇気づけたり、なるほど!と頷かせたり、なんだかあったかい気持ちにさせるような広告がもっと増えれば感情豊かな国になるのに、と思います。(理想論かもしれませんが)そして、自分はそんな広告づくりを目指して行きたいです。文字にするとかなり恥ずかしいけれど、けっこう本気です。

 

優秀賞 「授業参観」             上村 匡徳

校舎内に響くチャイムの音。いつもの授業とは違った緊張感。心なしかいつもより身だしなみの整った先生と両親。いつもは騒がしいあの子も今日はきちんと席についている。両親が見に来てくれることが本当は嬉しいけど、どこか少し照れくさい、そんな授業があった。大学生になった今では経験することのできない、懐かしい思い出の授業が・・・。

久しぶりに訪れる学校。チョークで少し白くなった黒板、懐かしいチャイムの音、キチンと並べられた机。家では見せない表情をしている子供。いつもはやんちゃな息子がちゃんと席についている。いつもとは違う子供を見られるのが本当は楽しみだけど、子供が失敗してしまわないか少し不安な、そんな一日がある。子供を持つ親になった今では以前とは違う立場で経験する、懐かしい思い出が蘇る一日が・・・。
「授業参観」、そんなどこか懐かしい響きを持った言葉がある。本来、親が子供の成長の様子を学校の授業を通して見る「授業参観」。その授業参観での親と子供の立場を逆にした広告がある。AC公共広告機構の「逆・授業参観」だ。
先ほど述べた通り、この作品内では親と子供の立場が逆になっている。つまり、キチンと席についているのは背広姿の親、教室の後ろで見守るのは学生服を着た子供達、そんな見慣れない不思議な光景が描かれている。
先生に指名されて慌てて立ち上がる一人の父親。少し慌てながらも作文を読み上げ始める。「私の息子は自慢の息子です。」、そうはっきり読み上げる父親、思わず笑顔になる周囲、後ろの息子も少し照れながらもうれしそう。「息子の趣味は・・・」、急に言葉に詰まる父親、ざわめき立つ周囲、後ろの息子は寂しそうな顔をしている。
ニュースでよく見る「両親による子供の虐待」、「子供による親殺し」の文字。これらは両者の相互理解が足りないから起こるのではないだろうか?もし実際にこんな授業参観があったとしたら、ちゃんと最後まで作文を読みきれる親はどれだけいるのだろう?ほとんどの親がこの父親の様に途中で止まってしまうのではないだろうか?
こんな偉そうな事を書いている自分自身、両親とのコミュニケーションをちゃんと取れているのだろうか?いや、取れていないだろう。実家を離れて早二年、今でも実家に帰る度に両親は何だかんだと世話を焼いてくる。「もう二十歳を過ぎたんだから・・・」、そう思う私の気持ちを知ってか知らずか、それでも世話を焼こうとしてくる。正直鬱陶しい時さえある。しかし、このCMを見て考えが変わった。もしこんな授業参観があったら私の父親は、母親は私の趣味を答えられるのだろうか?多分無理だろう。しかし、だからこそ世話を焼くことでコミュニケーションを取ろうとして、私の事を理解しようとしてくれていたのではないだろうか?だとしたら私は大馬鹿者だ。そんな親の気持ちも今まで分からず、何を言われても軽く聞き流していた。
「実家に電話しよう。そして話そう。」そう思わせてくれたCMだった。今からでも遅くはない、もしこんな授業参観があったとしても、いや、大学生になった私にはこんな授業は無いけれども、両親が私の趣味をハッキリと答えられるように・・・話そう。

 

優秀賞 「みんなの毎日を、幸せにする広告を」             今中 有紀

流し目でポーズを取った女性アイドルに、「ダメ。ゼッタイ。」の文字。麻薬・覚せい剤乱用防止センターのポスターである。この「ダメ。ゼッタイ。」をメインキャッチコピーに据えて、全国でキャンペーンが展開されている。公共機関や教育機関など、様々な場所で誰もが一度は目にしたことがあると思う。キャンペーン目的は、広く世に薬物の危険性を訴えること、薬物に興味を持つ者に手を染めさせないようにすること、の二点であるという。
それでは、このポスターを見て、薬物に手を染めようとしている者が「あぁ、薬物は“ゼッタイダメ”なんだ。やめておこう。」と思うだろうか。私は首を傾げてしまう。「薬物乱用はダメなこと」という事実を知らないから、薬物に手を染めてしまうのではないと思う。知っていながらも、手を染めてしまうのだ。それは、薬物の本当の怖さを知らないからなのか、ファッション感覚だからなのか…。そういった心の深い部分に入り込んでこそ、効果があるメッセージを発信できるのではないかと思う。では、このポスターが薬物の危険性に対して人々に興味を持ってもらう「入り口」としての位置づけであるならばどうであろうか。そうであっても、やはり機能していないと言えると思う。それは、「薬物乱用がダメなこと」ということは多くのひとが知っており、「ダメ。ゼッタイ。」というメッセージに何の新しさもなければ衝撃もなく、心を突き動かされることがないからだ。常識として人々の頭の中にあるもの、言わば教科書通りのことを言われても、「そんなこと知っているよ」と、人々は素通りしてしまうのである。
同じようなことが言えるものは他にもある。女性タレントの満面の笑みに、「あなたです 火のあるくらしのみはり役」というキャッチコピー。こちらは全国の消防署や町の掲示板、学校などの教育機関に貼られている防火のポスターである。このポスターを見て、国民の防火への意識というのは高まるのであろうか。にっこりと笑った女性タレントを見て、「かわいいなぁ。」と思う人は少なからずいるであろうが、「よし!今日から私は火の見張り役!」と思う人はどのぐらいいるのであろうか。私はまたも、首をかしげてしまう。「火の用心」という考え方は皆知っているし、常識である。その常識を常識のまま言っても心には響かないのではないだろうか。
以上の薬物乱用防止や防火ポスターの例だけでなく、交通安全や、犯罪防止、人権問題など、商業目的ではない公的メッセージは日本に住む全ての人に対してたくさん発信されている。私は、それらに同じような疑問を抱いてしまうのだ。「何かを伝えたい、変えたい」という思いはあるのかということを。
大辞泉によると、【広告】の定義は「1 広く世間一般に告げ知らせること。2 商業上の目的で、商品やサービス、事業などの情報を積極的に世間に広く宣伝すること。また、そのための文書や放送など。」である。1の意味をとると、上に述べた公的メッセージも「広告」と取ることができる。よって、以下では「広告」と定義して述べていこうと思う。それでは、広告とはどの様なものだろう。普段私たちが触れる商業広告の場合、それらには、広告主の「思い」がある。どうにかして伝えたい、わかってほしい、気づいてほしい、知ってほしいという強い思いである。その思いで持って、どうやったら伝えたいことが人の心に届くのかを日夜必死に考えていると言える。その様な思いがある広告だからこそ、人の心に届き、意識だけでなく行動までも変えてしまうことも起こりうるのだ。
では、先述した公的メッセージの「広告」はどうだろうか。多くが、皆が知っている「当たり前」ことを、「当たり前」のまま言っているように見える。常識を、常識的に言っているのだ。それでは、誰にも何も届かない。その様なメッセージには伝えたい・何かを変えたいという「思い」が不在であるように感じる。それはまるで、人の心を動かす・何かを変えることをはなから目的としておらず、社会問題への対策を講じている「ポーズ」をとるためのもの、言わば「エクスキューズのための広告」であるように感じてならない。そもそも公的メッセージの広告の本質は、その様なものかもしれない。それは、私企業が広告をして人の心に届いたら直接的に自分達の利益になるのに対し、公的メッセージの場合は、それが人の心に届いたとしてもメッセージの発信元である公的機関の人々にとって、目に見える直接的な利益がないからであろう。そして、私企業の社員や社長のように「売りたい、理解してもらいたい」と思う当事者、つまり「思い主」が公的機関には不在だからかもしれない。
だから仕方が無いのだろうか。資本主義社会の元で、企業が商品を売ることはもちろん重要なことである。だからと言って、薬物乱用防止が、防火が、交通安全が、それらの商業活動より重要でないかと言えば、そうではないはずだ。企業が利益をあげるための広告が人の心を動かすのに、人の命や毎日の幸せな生活という、人が生きていく上でもっとも大切で基本的なことに対して効果的にコミュニケーションできず、薬物乱用の予備軍はそのまま薬物乱用者に、防げるはずの交通事故も防げないままに、選挙に行かない若者の選挙権は使われないままに、商品やサービスだけが膨張していく世の中は果たして幸せなのだろうか。企業が利益をあげること、人々がモノやサービスによって豊かな生活をすること以前に、人間が「安全で、安心して、健康に、いきいきと」生きていくという日々の暮らしの最も基本的な部分が何よりも重要なのではないかと思う。それらが確保されなければ、商品やサービスがいくら豊かであっても、実質的には何も豊かではない。当たり前の幸せがあってこその、商品やサービスなのだ。よって、公的メッセージを発する広告は、商業広告と同じくらい、いやそれ以上のパワーが無ければいけないと思う。
良い例がある。「―公共広告機構(以下AC)―」の広告である。ACは、全国1300社の企業が会費を出し、公共のための広告を自主的に制作している民間の団体だ。親子問題をとりあげた「抱きしめる、という会話」、阪神大震災の支援広告である「人を救うのは、人しかいない」、公共マナーを取り上げた「ジコ虫」…。ACの数々の広告は、多くの人々の心に鮮やかに残っているはずだ。どきっとしたり、じぃんとしたり、時には考え込んだり…。人々の心に強く訴え、誰かの何かを変えたはずだと言えると思う。それは、日本全国の一般市民がACのそれぞれの広告への思いを語っているACの35周年記念キャンペーンの広告からもしっかり読み取れる。商業目的の広告じゃなくたって、人の心は動くのである。
それでは、今現在公的機関がそれぞれ発信している公的メッセージを、ACに任せたとしたらうまくいくのであろうか。ACの発信する広告の力を大きく評価している私だが、それは否定したい。何故ならば、発信するテーマが自主設定であるACに対して、公的機関はそれぞれに「伝えなければいけない」事象が必ずあるからだ。また、それを確実に伝える義務が公的機関にはあるし、更にはそれらのメッセージを体現した形の広告は、国や行政といった公的機関と市民をつなぐ重要な役目を担っていると言えると思う。だからこそ、公的機関が主体として広告という形でメッセージを発信することは意義があるし、今後も無くなってはならない。それでは、どの様に変化すれば、効果的で意味のある広告ができるのだろうか。
まず、言うまでも無く公的機関自身の意識変革である。何のために広告を発信するのか、何をどう変えたいのかという明確な意思と使命感を持って広告会社に依頼し、きちんとした目で選ぶという道はあるだろうが、その様な「丸投げ」だけでは「公的機関が広告をする」という特殊で重要な行為が、ただの商業行為に摩り替わってしまう可能性は高い。公的機関は、その財源の多くは国や行政、つまりは市民の税金である。商業目的の広告の広告主がそれぞれの私企業、ACの広告主はACの会員の私企業であるならば、公的機関の広告主は、国民/市民であると言えるのではないだろうか。よって、もっと国民が参画した広告づくりにチャレンジしてはいかがだろう。    公募で標語を募集したり、子どもの描いた絵画ポスターを利用したりと言った取り組みは既になされているが、その多くは常識をそのまま言葉や絵に変換した、言わば「教科書どおり」の標語や絵画になってしまっている。それでは冒頭に例としてあげたような今までの公的機関の広告と同じことになってしまう。確かに、その地域の子どもが描いたものによって心を動かされる市民はいくらかはいるであろうし、ある程度意味があるだろう。でも、それは地域に限られた話だ。全国津々浦々に展開されるような広告の場合、それだけでは通用しない。そこで、全国的に展開される広告においては、広く国民から公募する、一大イベントにしてはどうか。国民が、自分たちの生活に関わる広告を心を込めてつくり、自分たちの心に届く広告を自分たちの目で選ぶのである。そうすることによって、国民がそれぞれの社会問題に対して深く考える機会を得るであろうし、審査をする段階でも色々な観点からその社会問題を見つめることができる。つくる、えらぶ、という「考える」作業こそが、国民のそれぞれの社会問題に対する意識を高め、行動を変えてくれると思うのである。そうやってつくりあげられた広告は、実際に作業に関わっていない国民の目にも届く。多くの人々が心に届くと感じた、国民の実感が込められた広告だから、その広告づくりに関わっていない人の心にも届きやすいのではないかと思う。また、上に述べた「公的機関と市民をつなぐ」広告の役目が、広告づくりそのものによって強固なものになるのではないか。この公募制度が定着するまでは、コストがかさむであろう。しかし、そののちは制作費を抑えられる。そして何よりも、人々の意識が変わるという収穫が得られると思うのだ。
以上の方法は現実的ではない、と言われるかもしれない。でも、私は広告の力を信じている。それが、思いのある広告ならば。「伝えたい」というこころがある広告だけが、ひとの心に届く。そういった広告ならば、ひとの心を、行動を、そして社会を変える力を持っていると思う。だからこそ、利益目的だけではなく人々の一番身近にある毎日を、広告の力でもっと幸せにできると思うのだ。これから、社会問題に対するメッセージを発する広告がもっと「思い」を持ち、人々にとって身近で、参加でき、共感できるものになり、本当の意味で人々の幸せを手助けできるものになってほしい。そうなるように私自身も、少しでも貢献していけたら、と思う。
【参考HP】
公共広告機構HP http://www.ad-c.or.jp/index.html (10/20調べ)
薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」HP http://www.dapc.or.jp/index.htm (10/20調べ)

 

優秀賞 「バックミラーのなかのコマーシャル」        田村 淳

就職したての頃、よく岡山に行ったものだ。金曜日の夜、会議資料を助手席に放り込み、ネクタイを外し、パンを噛りながらアクセルを踏む。そんな、逃避行みたいな生活が、二年間以上も続いたっけ。
大学を卒業した年、彼女は岡山の高校へ。私は和歌山の銀行に就職した。カーナビも無く高速もとぎれとぎれの時代、その距離は地図以上に遠かった。その道筋に、おおくのビルボードが並んでいた。オロナミン、仁丹、グリコ。今となっては、その順番は定かではないが、多くの広告塔が夜の街に赤や青の光を放っていた。そのボードを目印に、神戸、姫路方面へとハンドルを切っていく。「化粧品の広告が見えると左車線に寄りはじめ」というぐあいに、おおいに活用させてもらったものだ。広告塔は、私にとっては都会を案内してくれる灯台のようなもの。案内役だった。本来の目的とは違うが、カーナビが無かった時代、私のように利用した人も以外に、多かったのではないだろうか。だからというわけではないが、一つ電球が切れていても気になる。気になるから「管理がなっていないぞ」なんて、いらぬおせっかいをやく。やいても、どうなるというわけでもないが、時間つぶしになるし発見にもなる。
「俺、俺、見てくれた。よろしく」なんて光りを放す、目立ちたがり屋の広告塔。そうれが、よくよく見ると、街とうまく調和しているのだ。威張りすぎるのでもなく、臆するのでもなく、それでいて伝言だけはうまく伝えている。おかげで、サービスエリアでは、ウ~ンとオロナミンCを飲まされたものだ。道筋という限られた空間の中で、それぞれの広告が「私が一番」なんて主張しはじめたら、大変。眩しくて、運転などできたものではない。街としての景観も台無しだ。だとしたら、オロナミンは買っただろか。
などと、思いをめぐらしているうちに、三宮、ポートタワーを過ぎ、須磨だ。ラジオから流れる、ロッドステイワートのだみ声。セイリングだろうか。俺達は、自由なのだと歌う。その声をさえぎるように、セイコーが、プップップッーと零時をつげる。
「もう寝ているだろうな」って思いつつ、子午線を超える。かれこれ20年程も前のこと。その彼女が、妻となり三人の母となり、今、隣で寝息をたてている。
その彼女が今度は、サンタになるらしい。朝から畳の上に新聞広告を広げ、三男のクリスマスプレにと、ショッピングの真っ最中。青色が基調の店に立ち寄ったかと思うと、今度は、赤のロードショップがお気に召したのか、右手で引き寄せる。出向くよりよっぽど効率的だが、おかげで私の座る余地などない。朝食もお預けだ。
「これ、ちょっと高いじゃない」。なんて、広告に突き込みまでいれているくらいだから、相当はまっている。いつもは、ジャガイモやりんご、ラーメンが載った広告しか手にとることのない妻とっては、新鮮で楽しいのだろう。そう考えてみれば、四畳半の畳の上でこれだけ楽しめるなら広告もすてたものではない。人生ゲームならぬ買い物ゲームだ。
記憶をさかのぼれば、私が子供の頃は、新聞は新聞紙だけでもっと薄っぺらだった。それでも、週末には近くのスパーの広告が数枚入る。ガリ版をすったような紙に、ラーメンやジュースの図柄が並び、その上に金額を書き入れただけのチラシ。はなやかな色彩も写真もない。ただただ簡素なものだった。カッコつきの[何円引き]という菓子箱を見つけた時などは、ちょっと特をしたような気分になったものだ。その期待は、みごとに裏切られるのだが、・・・。それでも、あると楽しかった。そのチラシが、最後に裏返しにされ、私たちの漢字の書き取りや計算用紙になる。時には、漫画を書く画用紙にもなった。そういえば、父が書き留めた農作業の歳時記も、農機具のチラシの裏だったような気がする。
で、畳の上に目を戻すと、妻のとなりで長男が「これだってばぁ」だと指をさしている。覗けば、横文字とカタカナ文字の羅列。
妻も、やはりこの手の店には弱いらしい。ともに、生まれも育ちもチラシ時代。仲良く行こうじゃないかい。「ねぇってば」
その三男が、最初に覚えた歌がスーパーマーケットの歌。幼稚園、親戚と所かまわず「今日も野菜が安いわネ、今日もお肉が安いわネ、・・・・マッゲン・マツゲン」と歌うから、我が妻は、もっぱらマツゲンびいきらしいといううわさが立つ。それはそれで良いのだが、子供のしつけはという問題にまで発展しかねない。弁解するわけではないが、確かに妻は、「こいのぼり」や「汽車ポッポ」の歌を教えていた。それは私も保証する。それに反して、三男はよほど気にいったらしくどこでも、口ずさむ。さすがに競争店のスーパーマーケットで歌われたときには、妻も閉口したらしい。
その後、「さかな、さかな・・・さかなを食べる」と歌う『おさかな天国』が流行りだす。これは、店を限定しないから、三男もはばからずに歌える。しかも、踊りつきだ。よろこんだのは子ばかりではない。親も、である。この時とばかりに、我が家もおおいに活用させてもらった。今夜は、サバだイワシだなんていいつつ、子供に魚を食べさせた。おかげで、魚嫌いにならずにすんだ。
考えてみれば、私も「ワ、ワ、ワーが三つ、ミツワ石鹸」というコマーシャルソングを覚えている。確か、小学校のころで、可愛い女の子の人形が輪を持って踊っていたような気がする。が、定かではない。不思議なもので、そのコマーシャルは、なくなっても記憶だけは残っていて、「ふと」、探してみたくなる。そこが、「にくい」。作り手の、うまさなのだろう。
「上手い」いといえば、やっぱりクラウンのコマーシャル。60年代、「いつかは、クランンという」コマーシャルがテレビで流れていた。当時私は学生で、「でっかい車なんだなぁ」、「まあ、おじさんが乗る車か」と、言うぐらいしか思っていなかった。
ところが、40歳なかばを過ぎてくると、人生が無限ではなく有限だったことにふと気づく。車にのれるのは、せいぜい70歳ぐらいが限度。気に入った車は、二回車検をうけて乗るとしても、せいぜい3台だろう。なんて、若い頃にはできなかった、人生の逆算ができるようになってくる。そして、「いつか」だった未来が今となり、クラウンに乗りたい衝動にかられる。反動で、今のうちに、オープンやバイクにも乗ってみたくもなる。街中で、オープンやバイクを、優雅に走らせるおじさんの姿を見掛けるのは、同じ思いからなのか。「ちょい悪」。というワケではないが、さまになっているから、かっこいい。我が家も、妻が三度変身してお婆さんになる前に「いつか」を実現したいものだ。
私たちは、物質的にどんどん豊かになっていく時代に生まれ、育ってきた。回りを見渡せば、手の届くところにモノがあり、欲しいものは何でも手に入った。しかしありあまる物質の中で、本当に自分の欲しいものが、何なのかが分からなくなってきた時代でもある。広告はその氾濫する物質社会の中で、迷わぬための灯台だったのかもしれない。それを裏切らないで欲しい。
さらには、アルフォンス・ミュシャがポスターの中に芸術性を見出したように、 広告も一つ文化として発展してほしい。そのためには、物質の豊かさとともに、心の豊かさもみたさなければならない、そんな気がする。
われら、迷えぬ消費者のためにも。

優秀賞 「舞妓さんのぽっくりと牛乳と僕」             小門 嵩秀

僕は京都の大学4回生だ。大学4年目になると、大学生活も板に付き、日々それとなく生活している。しかし、最近、僕にある変化が起こった。そんな大した事はない、ちょっとした変化だけれど。

少し前のお話。丁度、日が落ちる時間も早まって、夜は少し肌寒い、でもそれ程でもないって頃の話だ。そこに変化のきっかけがあったのだ。「次は○○~。○○です。」車内放送が流れる。その時、僕はバスに乗っていた。普段全く乗らない、しかも一時間に一本しかないというバスの路線だった。
その日は、大学で僕が所属しているゼミの先生が4回生の進路が決まったので、僕達を食事に誘ってくださっていた。バスに乗ったのはその食事の帰り道だった。
お店から出て、どういう交通手段で帰ろうかとみんなで話していると、丁度そこにバスが通ったので、バスを追いかけて近くのバス停まで走って乗り込んだ。食べた後でおなかが痛かったが、そんな事も言い出せないようなバタバタした状況での出来事だった。
一人、二人しか乗客のいなかったバスに乗り込むと、みんなでうるさくならない程度に談笑。そして僕は見つけてしまったのだ。ふと隣りにいた友達の頭上に白と水色のすごくシンプルな車内広告を。
その広告は色もシンプルなのだけれど、書いてあるフレーズもシンプル・・・というか、訳が分からなかった。ど真ん中に大きく『牛乳に相談だ。』というロゴがあり、その上に『舞子さんのぽっくりがうらやましい。』と書いてあった。その他には『gyunyu.com』としか書かれていなかった。
まず僕は「ぽっくりってなんだ?」と思いみんなに聞いてみた。ワイワイガヤガヤとぽっくり談義を繰り広げ、最終的に「舞子さんが履く厚底の履き物」って事がわかった。京都にずっと住んでいるのにいやはや、知らないというのはお恥ずかしい。
続いて「じゃあ牛乳とぽっくりの接点は?」という話題に対しての談義。そこで僕は「あ!舞子さんはぽっくり履くと背が高くなるんやから、そこで牛乳と掛けて、この広告が出稿されてるんじゃない?舞子さんズルいー!私ももっと身長欲しいのにー!って。」と、そう思い、それをみんなに話しても結局最後まで答えはわからないままだった。
家に帰って、次の日にふと、ぽっくり広告を思い出し。最後の手掛かりである広告に書いてあったURLでホームページを覗いてみた。とにかくあの広告がなんであるのかが知りたかったからだ。
ホームページは『牛乳を飲む習慣を身に付けよう』という趣旨のものだった。ホームページを見るまでは、広告だけでその趣旨に気付きはしないのではないか?と疑問を抱きながら僕はホームページ内を散策した。
ホームページ内でもたくさんのシンプルで同じような広告の紹介があったけれど、わかりやすいのから意味不明なものまであり、広告に書いてある言葉の説明は一切なく、というか、『ぽっくり』の広告は掲載さえされていなかった。    これにより残念ながらぽっくり事件は完全に迷宮入りを迎えることになった。
その後興味本位でホームページ散策を続けていたら、色々なコンテンツがあり、自分の今までの牛乳ライフについて考えるようになってしまっている自分がいた。
僕はあまり牛乳が好きではない子供時代を送っていた。
小学校の給食の時に「主食がご飯なのに、なぜ飲み物が牛乳なんだ?絶対合わへんやろ。」なんて思いながら最悪の組み合わせで気持ち悪く給食を食べていたこと。僕と同じ班の、やたらと僕にちょっかいをかけてくる女の子が、いつも給食の時に僕の牛乳の紙パックをチョップしていたこと。そんな事を思い出していた。今思うと、あまりいい思い出ではないことばかりが頭をよぎった。
そんな想いでホームページを見ていると、気になるコンテンツに辿り着いた。それは「牛乳必要度チェック」というものだった。チェック項目にチェックしていくと今の自分の体がどれだけ牛乳を必要としているかがわかるのだという。
「最近太ってきたから『やせたい。』にチェックだな。あ、お肌の張りもないわ。よし『素肌美人になりたい。』にチェックと・・・」なんて、試しにやってみると僕は牛乳必要度は75%もあったのだ。「これは牛乳に相談しなければいけないな。」って気になりつつも、パソコンの横にある飲みかけの缶ビールに目を向けた。「こんなもんばっかり飲んでないで・・・」って僕の中の誰かが囁いた。僕の中の天使の声なのだろうか。
お恥ずかしながらその次の日から、僕は牛乳を飲んでいる。自分の中にも健康志向な一面があるのに驚きつつ、「まんまとあの広告に乗せられたな。」と斜めに構えつつ、牛乳を飲んでいる。
それが冒頭で書いた最近の些細な僕の変化だ。まさかこんな事になるとは思ってもいなかった。しかし、こんな風に些細な事でも、なんでも心に留めて生活するのは、ただなんとなく生きるよりも有意義だろうと思う。そう思えるようになった気がした。牛乳を飲むようになったという変化より、こちらの変化の方が大事な気がする。
結果、明日も「何か発見はないか?」と思いもよらぬ出会いに期待する今日この頃だ。
「あ、最近は朝がやけに冷えるようになったから明日の朝はホットミルクにしよう。」なんて考えながら僕は今、この原稿を書いている。

優秀賞 「不測の感情と広告」                          髙橋 直志

図書館のエンジェルという優雅な響きを持つ言葉がある。膨大な蔵書を蓄える書棚の間を行きつ戻りつしているうち、読んだ事も聴いた事もないある本に突然目が止まり、気になってどうしようもなくなる。そしてその本を実際に手に取ってみると、正にその時自分が欲しがっていた内容が記されているという。読書家のさらに気取った言い方を借りれば「エンジェルが舞い降りた」と。
社会人になりたての頃、京都のとある居酒屋で日本酒を注文する時、全く呑んだ事も聴いた事もないがない「両関」という銘柄を私は選んだ。生産地も蔵元も辛口度合もほとんど考慮せず、ただ単にその字面がどうしようもなく気になったのだ。理由を問われても「何となく」と答えるしかなかった。それ以来、「両関」がある店では必ず呑む事にしている。
広告の仕事をしていて、広告がもたらす効果の具体的な計測について考える事がある。どのような広告をどれぐらいの量打てばどれぐらいの効果が上がるのか。もちろん答えはすぐには出ない。AIDMAやAISASの法則などのように消費者の購買行動をモデル化したり、効果測定のさまざまなツールが開発されたりしているが、実際のところ広告の効果を測るのは不可能に近いであろう。なぜなら言うまでもなく、人間の行動は心理面において大きく支配されるものであり、それは単純な数値記号化とは縁遠いものであるからである。人間の行動そのもの、そしてその行動をつかさどる精神構造や心理に影響を与える大いなる力は無限に存在する。当人自身すら気付いていない深いインサイトによる行動や感情もある。購買シーンに限らず、我々人間は突然沸きあがる不測の感情に、大きく影響を受けるものである。
4歳か5歳の頃住んでいた岩手の小さな町。家の近くを流れる大きな川には赤い鉄橋が掛かっていた。貨物列車は鉄橋を越えるとすぐに深緑の木々がふわふわした丸い山に穿かれたトンネルに入る。その山の中腹に錆びた広告看板が寄り掛かっていた。貨物列車が大好きだった僕は、列車を見送りながら見るとはなしにその看板の文字を眺めていた。つい最近、その町に約30年ぶりに再訪して気付いた。愕然として体中が震えるほどだった。その看板の文字は「酒は両関」。その文字は、何重にも畳み重ねられた私の記憶の襞の奥底に眠っていたのだ。そしてどのような段階を踏み、意識の表層に浮かんできたのか、私にはわからない。人間の感情の変動を自由にコントロールする事はできない。しかしその感情にはそこに至る何らかの裏づけが必ずあるはずだ。それを少しでもスムーズにする手助けができるようになれば、広告はきっと素晴らしい。

優秀賞 「This communication」             川村 翔太

最後の階段を上りきる。
目に映るいつもの場所。今日は時間が早いせいか人は少ない。早起きはつらいが、人が少ないこの時間は、バスの席にも座れる。だから、この時間帯は好きだ。
だが、時間が早すぎたようだ。バス停にはまだ誰もいない。バスが来るまで少し時間があるだろう。しかし、時間を潰すことには困らなかった。
そろそろ新品とも言えなくなったカバンから、封筒を取り出す。今朝、郵便受けに入っていたそれは実家の母から届いたものである。
封筒を開ける。入っていたのは、たった一枚の広告だけだった。ただそれだけ。少し、面食らいながらも、ああ、なるほど、と思った。それは、冬物のコートやジャケットなどが載せられた広告だった。
こちらの冬は寒い、と母に電話で話したのは、一週間ほど前のことであった。めんどくさがって、ろくに実家から服を持ってきておらず、薄手のジャケットで冬を過ごしていた。ときに雪が積もることもある、こちらでの大学生活は、そちらでは考えられないほどの寒さであり、大学の周りでは除雪車が走ることもある、なんて冗談交じりに話した。
そして、送られてきたのがこの一枚の広告である。つまり広告の意図は「この広告にある洋服なら、買って送ってあげるわよ。」ということであろう。昔から、不精なので洋服にお金をつぎ込む性格でないことを当に見抜かれていたようである。その心根に何とも言えない思いを抱きながら、誰もいないバス停で一人、周りに遠慮しなくてすむこの状況を改めて快適に思いながら、広告を広げた。
広告を広げるとある一部分に目がついた。それはとある深緑色のコート。それはいいとして、そこに明らかに、青い蛍光ペンで○印が付けられている。しかも一重じゃなく、二重、三重にまで○がついて、念が入っている。なるほど、これがオススメね、なんてことを心で呟く。うむ、まあ悪くはない。裏面を見ると、こちらにも蛍光ペンで印が、ただし、こちらは普通の○印。つまり二番目のオススメということであろう。こちらは白いウインドブレイカーで、先のコートとは趣が違うが、こちらもなかなか悪くない。
しかし、自分で着る服はやっぱり自分で選びたい欲求ぐらいはある。母のとてもありがたい「オススメ」にカンシャしながらも、その広告をじっくりと眺めることにした。幸いかどうかはわからないが、バスはまだ来てない。もしかしたら、先ほど着いたとき、バスは出たばかりだったのかもしれない。時間もまだありそうだ。
じっくりと熟考する。色やデザイン、そしてもちろん価格にも気を使う。二度、三度と広告を見返すうち、いつの間にか長い時間が経っていたようで、バスがやってきた。会話の途中で、水をさされたような気分になりながらも、それに乗り込みまた熟考。母もこれほど、熟考したのだろうか、という疑問が頭を掠めた。
結局、母のオススメも最終候補まで残したが、やはりそれはそれ。最後は自分の好みの黒いコートに決定し、赤ペンで○を書きせめてもの意趣返しにと、封筒に同じようにそれ一枚だけを入れ、投函した。
それから、荷物が送られてきたのは、2週間ほど後のことである。いよいよ寒さも厳しくなり、送られてきた新品のコートを着て外に出る。そして、またいつものバス停。
まだ人もまばらな中、バスを待つ。深緑色のコートを着て。

優秀賞 「アリの言霊」                西岡 勝成

――「言霊」その言葉に宿ると信じられた不思議な働き――
言葉から力をもらった。という思い出を今から書いていきたいと思うが、それは私が言葉の中にある言霊に気づき、それが私に力を発揮させるキッカケとなった。ということでもある話だ。
言霊から得ることの出来るものは力・知識・感動だと思う。    それは自分が耳にした言葉が感じさせたものだろうと思われるかもしれないが、そうではない。なぜなら、言霊とは「働き」を意味するからだ。ある言葉を聴いた時に自分が変わったとしたら、それはある種の力・感動という「働き」を言霊から受けたからだ。言葉の中の「言霊」を感じるようになったのはいつ頃だろう。そうだ、アリの言霊をもらった時だ。メッセージの内容は
「IMPOSSIBLE IS NOTHING」
「不可能」とは、自らの力で世界を切り拓くことを放棄した、臆病者の言葉だ。
「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
「不可能」とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。
「不可能」とは、誰かに決めつけられることではない。
「不可能」とは、通過点だ。
「不可能」とは、可能性だ。
「不可能」なんて、ありえない。
「IMPOSSIBLE IS NOTHING」
~2004年 アディダスの広告キャンペーン~
現在は広告業界で仕事をしている自分だが、モハメド・アリ出演のこの広告を見て鳥肌が立つと同時に、学生時代のあるスパーリングを思い出した。学生時代はボクシング、柔道、修斗(空手の突き蹴りと柔道の投げ寝技を合わせたような総合格闘技)と格闘技で物理的力を求めることに時間を費やした私は修斗の道場で、プロ選手(現在ある団体でチャンピオンになっている)とスパーリング(実際にパンチ、キックを出し合う試合形式に近い練習)する機会があった。結果は散々なものだ。殴られた時に走った金属音のようなもの、全身に強い鳥肌がたった感覚を今も覚えている。体が重く、全身に力が入らず何もできなかった。しかし今振り返ってみると、相手が早すぎで、力強すぎたのだ。あまりにも差がありすぎて全身の力を吸い取られたかのように錯覚してしまったのだ。そして、初めから闘うことを投げ出していたのだ。
「不可能なんて、ありえない」
広告に出ているモハメド・アリは不可能を可能にした人だ。私は不可能を不可能のまま受け入れていた。この言葉を見た時、なぜ学生時代のあのスパーリングを思い出したのだろう。自分に対して直接語りかけられている気がしたんだ。そう、不可能と感じたことそのまま受け入れてしまっていた自分を思い出したのだ。このモハメド・アリの言葉は悔しさを思い出させ・言い訳をしようとする自分に突き刺さった。
社会人になった現在では道場に行くことはなくなり、たまにジムで体を鍛える程度でしかない。アリの言霊は私に力をくれる。始めた頃は70kgが限界だったベンチプレスという胸筋肉を鍛えるトレーニングで100kgを持ち上げられるようになった。今はアリがこう語りかけてくる。「まだ、終わりじゃない。これからだ。今日無理でも上げられる日はくるんだ」。私は応える。「よし、いっちょやったろうか。」もし不可能という先入観を持ったままなら、、、通過点ということに気づかなかったら、、、自分の中で100kgは不可能な重さに思えただろう。アリの言霊は自分の弱さを思い出させ、力を与えてくれ、感動をくれた。「不可能なんてありえない。」アリにあったことは一度もないがあのメッセージはアリからもらったのだ。
言葉に感動する、鳥肌が立つ、興奮する――すべて言霊の仕業だ。
日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸(さきわ)ふ国」とされた。言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであるらしい。私に突き刺さった言葉「不可能なんてありえない」は言霊の存在を気づかせてくれた。そして、不可能と思うことは物事を達成するまでの通過点だと教えてくれた。それは力・やる気・自信・感動になった。広告業界で働く人間にとって言霊に気づけたことは遅かれ早かれ、予定されていたことだったのかもしれないが、気づいた日が吉日だ。
広告業界で働く私は言霊発信者であるべきだ。言霊に気づくと自ら強く、賢く、感性豊かになれる。私にとって「不思議な働き」が自分の記憶を掘り起こし、力を与え、体を覆うほどの感動を与えたように、言霊は自らの思い、感情などに力・変化を与え、行動へ移させる原動力となる。見方を変えると広告というのは見る人たちへ言霊を投げかけるもの、と言えまいか。広告を見た人は言葉から不思議な力をもらう。そして購買という一つの行動を起こさせている。アリの言霊が私にくれた「不思議な働き」のように多くの人が広告から言霊を受け取り、何かを起こす原動力を持ってくれればと思う。そして、広告業界で働く私もそんなメッセージ作りをしていきたい。

優秀賞 「偶然からの大発展」                木俣 肇

私はアレルギー科の医師であり、特にアトピー性皮膚炎(以下、アトピー)の患者さんを、毎日多数診療している。しかし、アトピーは、原因が多彩であり、決め手の検査がない。何か、より直接的に、アトピーの原因論に迫るベストな指標がないかと、考える日々であった。ある土曜日、何気なく新聞の広告を見ていた。それは、スポーツ紙の大阪版でアトピーとは全く関係ない。偶々そこに、「アトピーと毛髪分析」という言葉が載っていた。よく広告を見ると、大阪にある個人の施設で、アトピーを始め色々な疾患で、毛髪を少量採取して毛髪中のミネラルを測っている。毛髪は組織であり、体のミネラルを表しているわけである。しかも子供でも採取は毛髪を少し切るだけで簡単で、苦痛は全く無い。ミネラル異常が認められれば、不足しているミネラルを補充して栄養を改善する。非常に論理的である。しかし、保険適用がないので、今まで医療の世界では使用されていなかった。「もしかしたら、毛髪分析がアトピーに検査として、有用かなと」思い、まず文献検索をした。きちんとした検査なら、必ずいい論文になっているはずである。世界の医学論文を検証した。すると、あった。古い論文だが、しっかりした科学的根拠が米国の研究者が発表していた。但し、1回の検査が高価なのと、検査機器の感度の性能が十分でなく、その後すたれていた。
しかし、今は工学機器の性能があがり、検査感度も向上した。これだけ予備に勉強して、その大阪の施設に連絡した。驚いた事に、その施設の経営者は私の事を知っており、面談を快諾してくれた。そこで、昼食を共にして、歓談し、意気投合した。何かの時には協力しようと、約束して。
その後、何とか毛髪分析を実際にアトピーの方に実施できないかと、考えていた。問題は検査費用である。個人で支払うには高価すぎる。その時、関西のある会社から、アトピーの方に海洋深層水を飲んでもらい、その効果を検討したいという、申し出があった。その会社の幹部に会ってみると、臨床的な効果以外にも、数字でわかる検査もして欲しいとの事であった。はっと、毛髪分析がひらめいた。費用の事を申し出ると、問題ないということであった。早速、私が診療しているアトピーの方々にお願いして、その会社の海洋深層水を半年間飲む検討を始めた。まず、飲用前に毛髪を封筒に入るくらい少量切り取り、サンプリングを行い、同時に血液検査も施行した。
そして毎日500mlの海洋深層水を、半年間無料で戴いて検討したのである。結果は大成功であった。毛髪分析で、ミネラル異常がみつかり、それが海洋深層水の飲用で全員が改善したのである。喜んで私は医学論文を執筆した。幸いその論文は、ヨーロッパの医学雑誌に、投稿し受諾された。反響も大きかった。毛髪分析の会社も、検査の依頼が多く来て、更に名前もうれてPR効果もあり、経営的にも潤った。そして、その利益でまた広告を出すことができた。海洋深層水の会社は更に得た物が大きかった。商品の価値の確立と、それを英語論文で確証したというお墨付きで、海外展開に発展できたのである。海外では、論文の付加価値は計り知れない。論文を引用して、その広告を出して、非常に受注が増えた。更に、その会社は飲用するアトピーの方々の人数を、大規模に増やして再検した。ここでも、被験者を募るために広告を出した所、100人くらいの参加者を集めれた。広告の力の大きさを再認識した次第である。そして、また半年間飲用してもらい、飲用の前後で毛髪分析をした。分析するミネラルの種類も更に増やした。結果はより素晴らしいものであり、今回は私が指導して、その会社の社員に、ヨーロッパの医学雑誌の投稿させ、見事に受諾された。全く医学の素人の論文が、プロの雑誌に掲載されたのである。その社員及び、会社の喜びは、計り知れない。とりわけその会社の社長は欣喜雀躍であった。当然、その論文を元に広告をして、また海洋深層水の売り上げが増加した事は言うまでも無い。
このように、広告による新事実の発見、それによる商品の価値の確立、それがまた宣伝効果を生むとという、好循環を引き起こした。最初は、ほんの偶然で大阪の一スポーツ紙からはじまった事が、世界的な大発展になった。広告のベストな威力である。

優秀賞 「依存効果は、人々を幸せにしたか」           池永 一広

現代人にとって、豊かさとは何か。おそらく様々な議論があるに違いない。しかし、戦後日本の豊かさのモデルがアメリカにあったことは誰しも異論がないであろう。
大不況、第二次世界大戦を経て、圧倒的な経済力、軍事力、文明力を背景にしたアメリカの1950年代は、“パックス・アメリカーナ”といわれ、まさしく「アメリカの世紀」の確立へと力強く躍進していく時代であり、20世紀でもっともこの国が光り輝いた時代でもある。アメリカ以外の国では高価とされる家庭用電気製品、自動車、合成繊維製品などの「贅沢品」が、折からの好景気による消費者の所得増大と大量生産によるコストダウンによって「生活必需品」となり、消費者がこぞって購入を競い合うという社会が誕生したのである。そのアメリカで、ガルブレイスの『豊かな社会(The Affluent Society)』の初版が出版されたのは1958年のことである。
彼は「豊かな社会」の特徴として、「依存効果」が大きな支配力を持つ社会である、という有名な学説を唱えた。
従来、生産とは消費者の欲望がまずあって、それに応じてモノが生産され、消費者の欲望を満たしていくものであったのに、「豊かな社会」においては欲望が生産に依存している。こうした社会では、人為的につくられた欲望と見栄による欲望が生み出され、生産者は、広告と販売術によって意図的に欲望を創り出し、その結果である消費増大はさらに欲望や見栄を通じて新たな欲望を創造していく。つまり、「広告は欲望を創り続け、消費者の消費は、企業の広告活動に依存する」というわけである。
したがって、豊かな社会では、生産者は消費者の購買意欲を刺激するために、“リスの車輪”のように踏み板を回し、欲望を創り続けない限り、社会は破綻する仕組みになっているのである。
アメリカが成し遂げた「豊かな社会」の誕生は、ヨーロッパ諸国を遙かにしのぐ未曾有の豊かさを実現し、歴史上初めて様々な恩恵をアメリカ国民にもたらせた。しかし、この「豊かさ」は、ガルブレイスの目にはどう映っていたのであろうか。おそらく、「歪んだ豊かさ」として映っていたに違いない。リベラル派の巨頭であり、学者としてその経歴も異色なことから、経済学の異端児とも呼ばれるガルブレイスがこの著書の中で指摘したものは、まばゆいばかりのアメリカ国民の消費欲旺盛な繁栄という光の中に、「豊かな社会」の不安が、この躍進の時代を特徴づけているということであった。それは、消費者主権とは名ばかりで、実は大企業が創り出す依存効果を仕組んだ広告という文化装置の檻の中で、消費者は巧みに踊らされ、自律的にモノを選択するのではなく、あたかも強制されたごとく、他律的な選択を操作されているということへの警告でもあった。
ガルブレイスが主張する「豊かな社会」は、その後わが国においても出現が見られ、これと同様なことが顕著に見受けられる。今日、わが国は世界でも稀に見るほどの消費社会を実現し、豊かさを手に入れることができた。しかし、その豊かさは真の豊かさだったのだろうか、そして、広告は豊かさといかに関わって来たのだろうか。
一般的にはあまり知られていないかもしれないが、広告費と国内総生産(GDP)の関係を見れば、広告は経済との連動性がきわめて高いことがわかる。1985年以降、日本の広告費の伸びはほぼ一貫して国内総生産の1.1%強前後の水準で安定して推移している。経済は生産するだけでは機能せず、それを購入・消費する人がいて初めて機能するものであるから、GDPと広告の相関を考えると、生産と消費を結びつける架け橋として、広告が一定の役割を果たしてきたといえる。
確かに広告は戦後の日本の経済成長と歩調を合わせ、社会の豊かさを支えてきた。しかし、その豊かさ感は、時代とともに内容が変わってきている。総理府の『国民生活に関する世論調査』によると、1960年代、70年代前半には「モノの豊かさ」を重視すると回答する人の方が、「こころの豊かさ」を重視すると回答する人より多かったが、1970年代後半には同程度となり、1982年を境として逆に「こころの豊かさ」を重視すると回答する人の方が多くなり、その差は年を追うごとに広がる傾向にある。
広告の主な目的が商品やサービスを販売することにある以上、情報の送り手側である企業では、広告の機能や効用は主として、営利性や収益性などを目的とする経済的な手段としてとらえられてきた。しかし今日、こうした経済至上主義の影で、「人の幸せとは何か」「本当の豊かさとは何か」「真のゆとりとは何か」といった、人間本来のあり方の追求を置いてきぼりにしてきたことに対する反省が叫ばれている。
企業とはゴーイングコンサーン(継続事業体)として半永久的に存在し続ける組織であらねばならず、企業の存続のためには社会の信頼・支持はこれまで以上に必要であり、「全体」「つながり」「バランス」などの意味を含む、ホーリズム(holism)な観点から、社会的責任の強化はいずれの企業においても必須条件になっている。こうした中で企業は、ステークホルダーとのコミュニケーションをコンプライアンス体制の中でとらえ、企業活動に反映させることが従来にも増して重要であり、そのための広告コミュニケーション活動には、これまで以上に細心の注意が必要であると思われる。
ところで「企業の社会的責任」といえば、まだそのような言葉が今ほど一般的ではなかった、今から16年も前のことであるが、私には忘れられない広告がある。    それは、新聞一面に掲載された欧州のある自動車メーカーの日本法人の広告で、ホワイトスペースを効かせた、ごくシンプルなアートワークをとりながら、その中央に配置された「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生みだしています。」というヘッドコピーが、力強く訴えてくる作品である。私はこの大胆なメッセージに思わず引き込まれ、鮮烈な衝撃を受けたことを今でも覚えている。
かつての1990年代といえば、“環境にやさしい”、“地球と環境の未来に貢献します”と良いことばかりを謳ったコピーが世の中に腐るほどあふれていた。もちろん当時は、環境広告といえるほどの広告ジャンルはまだ確立しておらず、企業側からの一方的メッセージの投げかけが多く見受けられた。そんな中、この広告は自動車の有するマイナス面を、社会に向けて発信し、一緒に問題解決に立ち向かおうと呼びかけた広告であり、「だからこそ○○○は、環境問題に真剣に取り組みます」と続くボディコピーは、新聞というメディアを通じて環境対策への約束を読者に誓うことで、自社のアイデンティティの向上に挑む姿勢を表明した野心作として、傑出した出来映えであったといえる。それ以来、具体的・実証的・科学的な環境広告が登場し始め、環境広告という一つのジャンルがわが国で芽生えてきたように思う。その意味で一企業が真摯に環境問題と対峙するコミュニケーションの時代への嚆矢となったエポックメーキング的な作品といえよう。それゆえに、この広告の持つインパクトには、しびれるほど緊張感が漂うものがあった。
その頃から比べたら、今の日本はますます「モノの豊かな国」になった。しかし、その“豊かさ”は、あくまで「モノの豊かさ」であり、「こころの豊かさ」であるかどうかは疑わしい。さらに、近年ではこの国は、すべてにおいて必ずしも「安全な国」とは言い切れなくなってきた。食品、医療、環境、教育、交通、犯罪…、身の回りの不安や危険は、年々増える一方である。
企業は社会の中で活動し、その活動のもとで利益をあげているので、社会的な責任を負うのは当然である。それゆえに、企業の存在はもとより、また企業が発信する広告それ自体も「社会の公器」と言えるだろう。
“薬も過ぎれば毒となる”ということわざがある。良薬はほどほどが大事で、薬に対する依存度が高ければ高いほど、その分リスクも高い。広告も同様に、消費者の広告に対する依存度が高ければ高いほど、広告の効果は功を奏すどころか、それを通り過ぎて“物欲症候群”“モノあまり症候群”“むだ遣い症候群”などの良からぬ副作用を時として及ぼす。
20世紀の物質的な豊かさを求めた時代は終焉を迎え、21世紀の現在は、精神的な豊かさを求める時代となっている。物質的な豊かさを求めた時代では、求める価値観が目に見える有形物であったため、求めるモノが画一的であった。しかし、精神的な豊かさを求めている現代では、人それぞれの精神を満たす事象は無形物であること、また、人それぞれ精神が満たされる事物は異なっており、社会のあらゆる階層で多種多様な価値観やライフスタイルが生まれている。消費者の価値観が大きく変わる、そういう大転換の時代の中で、今後さらに消費環境の変遷が進むことから、企業も消費者もより広範な視点から、広告は人を幸福にするのか、またそれを実現するために、どのような機能や役割を担っていかなければならないのか、社会に貢献できる広告のあり方を考えていくことが大切だと思える。
「アメリカの豊かな社会は、必ずしも国民を豊かにしていない。本当の豊かさとは何か」という、約半世紀も前に発せられた慧眼なガルブレイスの警世的な思考は、今の日本の広告のあり方に多くの問いを投げかけているのではないだろうか。

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