第26回 夏期広告セミナー

第26回OAAA夏期セミナー(2023年8月25日開催@Zoomウェビナー)

「言語ゲームとAI 〜コミュニケーションの未来を哲学する 〜」

講師:中村 昇 氏(中央大学文学部教授)

モデレーター:加藤 哲彦 氏(株式会社トイビト)

 

第26回夏期広告セミナーは、113名の参加登録者に対してオンラインセミナーの形をとって2023年8月25日(金)
に開催した。今回のテーマは、「言語ゲームとAI」。広告コミュニケーションの原点でもあり根幹でもある「言語活動」。 今後さらに、コミュニケーションとAIがより密接になる社会が予想される中、「人」と「人」「人」と「AI」、のコミュニケーションの形態や本質がどう変わる可能性があるのか?
今回は、哲学研究者である中央大学文学部教授の中村昇様と株式会社トイビトの加藤哲彦様をお招きし、哲学的な視点で、コミュニケーションの未来についてご講演いただくこととなった。

 

1. 言葉とはそもそも何か? 〜私、世界、言葉の関係性

加藤:私は学問する人のポータルサイト「トイビト」を運営していて、さまざまな分野の先生方からお話をお伺いしています。今回は現代西洋哲学がご専門の中村昇先生をお迎えし、4つの切り口から今日のお題を紐解いていきます。中村先生、まずは20世紀以降の哲学に大きな影響を与えたオーストリアの哲学者・ウィトゲンシュタインの思想についてお聞かせください。

中村:ウィトゲンシュタインの思想は前期と後期に分けられ、前期の代表作が『論理哲学論考』です。論理学とは言語、思考、世界のベースにある構造についての研究で、同書で彼は “言語と世界は完全に論理をベースにしている”と主張しました。有名な言葉に“語り得ぬものについては、沈黙しなければならない” があります。“語り得ぬもの”とは神や倫理的なもので、検証できないものです。語り得るものと語り得ないものは、本日のテーマであるAIとそうでない領域にも分けられます。ウィトゲンシュタインはこの本で一旦哲学から離れますが、再びケンブリッジ大学に戻り前期の思想を問い直します。後期の思想を代表する概念がこの後出てくる「言語ゲーム」です。

加藤:『論理哲学論考』には「私は私の世界である」「主体[私]は世界の一部ではない。そうではなく世界の境界」という記述がありますが、これはどういう意味ですか?

中村:私は世界そのものであり、いわば私というワンルームマンションからは抜けられない。だから私の視野が世界の境界で、私という枠組みの中ですべてが起こっているという意味です。18世紀にカントが、世界は我々の認識の構造がつくっているという「認識論的転回」を提唱しました。人間だけの独自の“メガネ” で皆同じ世界(現象界)を見ていると考えます。19~20世紀になると論理学に革命が起き、認識の枠組みは言語であると考える「言語論的転回」がおこりました。人間独自の“メガネ”が“言葉” に変わったわけです。

 

2. コミュニケーションとはどんな出来事か? 

       〜“言語ゲーム”という概念・“言語ゲーム”における意識(心)の扱い

加藤:ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」とはどんな概念でしょうか?

中村:「言語ゲーム」というのは日常的な言葉のやりとりのことです。後期のウィトゲンシュタインは世界の「骨組み」や言語体系を想定するのではなく、実際に言葉を使っている〈この場から〉、使っている当人として言葉を考えていきます。言葉のやり取りの外側には絶対に立とうとせず、あくまでも日常的におこなわれているゲームのプレイヤーとして言語を探求するのです。

加藤:言葉のやり取りの外側にあるものの一つとして「心」が挙げられると思います。大森荘蔵著『流れとよどみ』にこんな話があります。ロボットに心はあるのか?という問いにロボットがこう答えます、「ではその前にあなたの方からあなたにも心があることの証拠を見せてください」と。また、映画「ブレードランナー」の原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、感情移入は人間だけに存在することになっていますが、会話が成り立っているからといってその相手に心や感情があるとは限らないんですよね。

中村:他人のワンルームマンションには入れないので、原理的に他人の感情に辿り着くことはできません。だからウィトゲンシュタインの言うように私の世界しかわからないんです。

加藤:コンピュータの原理をつくったアラン・チューリングは、機械が人間のように振る舞えるかどうかを測る「チューリングテスト」を考案しています。彼はウィトゲンシュタインの講義を受講していたとのことですが、コンピュータの端緒が「言語論的転回」と少なからず関係しているというのは興味深いですね。

 

3. 意味とは何か? 〜AIは意味を理解できない?

加藤:人間が言葉をやりとりするように、AIも言語に込めた意味を理解できるのでしょうか?

中村:哲学者・オースティンは、言葉は世界を描写したり記述したりするものではなく、行為として周りに影響を与えるものだという「言語行為論」を提唱しました。AIはこのように言語をつかい相手の行為を促すことや、コンテキストから意味を理解することはできません。

加藤:中村先生のご著書『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』には“言葉の意味とは使用である”とあります。

中村:これは、それ以前の言葉の意味という定義に対するアンチテーゼで、意味とはその語の使い方であるという考えです。意味は一つひとつの言葉にくっついているのではなく、日常の言葉のやりとりのなかにある。普通は、それぞれの言葉には特定の意味が内包されていると考えますが、例えば「愛」「友情」「感謝」といった言葉の意味を、相手や自分が本当に理解しているかどうかはわからない。でも、それらの言葉をつかったやりとりが滞りなく進行しているのなら、それらの意味を理解しているとみなすしかないという考え方です。

加藤:その考え方で言うと、ChatGPTなどの生成AIは「意味を理解している」ということになりますね。

中村:ウィトゲンシュタイン的に言うと言語ゲームに参加できているといえます。AIは大量のデータを分析して文章を生成しますが、その過程をわれわれが知らずに、AIが人間と同じように言語ゲームの現場に出てきたら、AIは意味を理解していると判断せざるを得ないですね。

 

4. AIは人間の“話し相手”になれるのか?

加藤:人間はaiboやLOVOTがロボットであることを知りながら、ペットのように可愛がることができますね。それと同じように、相手がAIだとわかってもなお、われわれは人間と同じように接することができるかどうかということに興味があります。

中村:前述の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というタイトルには、人類が電気羊(ロボットのペット)を飼うような未来に、アンドロイドも同じように電気羊を飼いたいと思うのだろうか、という問いかけが込められています。

加藤:私は人間とロボットが共生するには二つの道があると思います。一つは人間が自分自身をコンピュータと同じアルゴリズムとみなし、データ化された社会の「チップ」の一つとなる道。もう一つはaiboやLOVOTに対するように、ロボットに感情移入する道です。後者はアニミズムに通じるものがあるのではないかと考えています。

中村:なるほど。私の好きな将棋でいえば、2013年から2017年にかけて、AIが何人ものプロ棋士に勝ち、将棋は、AIの方が全人類より完全に強くなりました。でも現在将棋界は、AI、プロ棋士、アマチュア棋士と、強さが明確に位置づけられ、それがうまく機能し合ってとても盛り上がっています。こうした共生の仕方は他分野でも十分にありうると思います。

加藤:AIの台頭が、必ずしもディストピアを招くわけではないということですね。今日はありがとうございました。

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