第5回 人権セミナー
第5回人権セミナー 2015年12月16日開催
近畿大学人権問題研究所教授 部落解放・人権研究所代表理事 奥田 均 氏
第5回OAAA人権セミナーは、12月16日に電通ホールで開催され、「見なされる差別」と題して、近畿大学人権問題研究所教授 部落解放・人権研究所代表理事 奥田均教授にご講演をいただいた。師走真只中、約50余名の参加者は、興味深い差別構造の背景分析に耳を傾けた。
部落差別は、どうして部落出身者差別と言わないのか?
普段何気なく使っている言葉でも、なぜそのように使われているのか疑問に思うことがある。「部落差別」という言葉にも違和感がある。障害者差別、女性差別、在日外国人差別など、差別は人間が人間に行うので、差別を受ける側の人称名称が使われる。部落差別だけは土地を指す。なぜ部落出身者差別と呼ばないのか?
1)同和地区出身者(部落出身者)とは誰のこと?
障害者かどうかは、障害者手帳を持っているかどうかで判断できる。では部落差別という時、一般市民はどういう人を想定するのか、大阪府が行った人権意識調査で驚くべき答えが浮かんできた。それは回答者で答えが違っている(解釈が異なる)ことだった。(表1)
この結果は2010年でもほとんど同じ結果である。このように部落出身者を見極める時の判断基準はまちまちであり、そんな曖昧なまま差別が存続している。
2)「見なされる差別」としての部落差別 ― 区別なき差別!
人によって見解にばらつきはあるが、その基準は土地にある。同和地区に何らかの接点がある人を“部落出身者”と見なしているのだ。つまり穢多・非人という江戸時代の身分制度での差別は、土地を手がかりに対象者を規定するという差別に変わっていったのだ。
だとすると、誰もが部落出身者と見なされる可能性がある。土地を手がかりに差別を作り出している以上、知らずに同和地区と呼ばれる地域に住むと、部落出身者と見なされる。差別はその時代の価値観の下で作られるが、部落差別は、人種的にも、身体的にも、社会的な登録においても差異がない特有の状況下で続いている。
3)「差別を受けたくない」という当たり前の願い
現代人の感覚は差別意識が強いというよりも、むしろ無関心に近い。しかし自分や自分の家族は差別を受けたくないという一種の自己防衛が働き、部落そのものよりも、世間・社会から部落出身者と見なされる可能性を避けたい状況にある。
この仮説を証明するため、次のような調査を実施した。部落差別なんて昔の話だという声も耳にするが、実際には半数以上の人が同和地区を忌避すると応えており、部落差別の意識が歴然と残っていることがわかる。(図1)
(2010年大阪府民意識調査)
4)部落に対する忌避意識の正体・・・見なされることの回避
差別を受ける側になりたくないという市民のごく普通の願いが、「同和地区出身者と見なされる可能性」を避けようとする意識を形成。それが忌避意識で、部落に対する直接的な差別意識とは異なる。市民が市民の視線を感じ取り、お互いがそれに縛られながら、「同和地区出身者と見なされる可能性」を回避していくという、市民と社会との関係で形作られている意識と言える。
こうした中で土地差別問題が引き起こされてきた
2007年土地差別調査事件は氷山の一角で、これは部落対リサーチ会社や開発ディベロッパーの問題という構図ではなく、顧客の部落問題意識や動向を反映して引き起こされたもので、営業上の論理が差別問題の背景にある。
春先になると、教育委員会に同和地区が校区に含まれているか否かの問い合わせが増える。その意識は不動産広告の校区情報からも窺える。この問題解決に、大阪府でも不動産広告には校区情報を入れないという自主規制が行われたが、すると校区に代わり、学校まで○○メートル、優良校区などの表示が現れる。こうなるとこの部落差別は、つまるところ土地差別・地価差別に置き換わる。
町並みからは全く推察できずとも、エリア内の路線価で明らかに価格が下落している地域が存在し、その部分に同和地区があったりする。こうした実情が不動産売買の土地価格に反映し、部落の人にとっては資産価値面でも差別を受けることになる。
終わりに
大阪府の部落差別を規制する条例も2011年に改正され、土地に関する調査・報告などを規制する項目が加えられた。また宅建業者への処分は、行政指導基準にまで高められた。今後は其々の立場でこの連鎖を断ち切り、協同で部落差別問題の解決を見出す動きになっている。