第2回広告エッセイ大賞受賞作品

大賞 「インターネットマーケティング花鳥風月」      長谷川 想

E-mail 着いたかどうか 電話する

これらは私が社会人になりたての頃、どこかで見た川柳です。2000年に広告会社に転職した私は、それまでの6年間は通信会社に勤めておりました。ちょうど新入社員のころ、私の職場にも電子メールが導入され、その時期にこの川柳を見たため、痛烈な印象を私に残しています。当時、ダイヤルアップでインターネット接続をして、ホワイトハウスのホームページを見て感動していたのですが、あのころからの通信業界の約15年間は激変に次ぐ激変でした。今日は、ありきたりな言葉ですが、ブロードバンド時代、Web2.0時代となり、広告だけでなく社会経済そのものに通信がインターネットを通じてさらに大きな影響を及ぼす事態となったことに隔世の感があります。個人的には、通信業界から広告業界に転じて通信から一旦は離れたものの、広告業界でまた深く通信に関わることになっている状況です。このエッセイは、そんな背景を持つ人間が、現在従事するインターネットマーケティングの現場などで感じていることを川柳という形で表現したものです。お恥ずかしながら、お付き合いいただければ幸いです。

妻からも 続きはWebでと メールされ

これは実際に私が妻からもらったメールにも基づく川柳です。我が家は子供がまだ小さく、妻は育児などの情報を中心に、ブログやSNSでママさん友達とコミュニケーションを活発にしています。平日に子供と接する時間のない私に、ある日、携帯メールで「子供にこんなことがあったよ。続きはWebで」と伝えてきました。妻も30代で、携帯で多くの文字を打ち込むのがどちらかというと面倒な世代で、続きは自分のブログを見ろとテレビコマーシャルをまねて伝えてきたのでした。広告会社とは全く縁のない妻のコミュニケーション技術を見直した瞬間でした。全く油断ができません。

「欧米かっ!」 使おう、正そう 日本語を

転職当時、広告会社の長いカタカナの組織名、役職名を見て非常に違和感を覚えました。通信会社時代には、公式文書などではカタカナを使用しない傾向があり、サーバーを「自動公衆送信装置」、コンピューターを「電子計算機」と記述していたことをお知らせすれば、この違和感をよりご理解いただけるのではないでしょうか。インターネットで使われる言葉はアメリカ発で、特に訳されることなくそのまま日本語になっています。今後インターネットマーケティングの分野で、ますます「欧米かっ!」と叫びたくなるシーンが増えることを危惧しつつ、美しく、正しい日本語を使っていかなければと肝に銘じております。

ロングテール 残業時間も 尾を引きつつ

ロングテールとは、ネット通販などで、膨大な数の商品を低コストで取り扱うことができるために、ヒット商品に依存することなく、ニッチ商品の積み重ねによって大きな利益を得ることができるという考え方です。我々広告業界の現場では、これまでより扱い高の小さなクライアントとの対応機会が増えました。また、検索連動型広告は、数千に及ぶ「単語」単位に入札額(クリックされた際の媒体社への支払額)などを決めることも珍しくないのですが、実務が相当煩雑になってきています。さらに、インターネット広告は、ほぼリアルタイムで結果がわかり、その対策を求められることも少なくありません。

この川柳の解説は少し長くなってしまいますが、我々広告業界は大きな構造変化を迫られているのを痛感します。言葉が適切か分かりませんが、薄利をより手間を掛けて追求していると言えるでしょうし、その傾向はさらに強まることでしょう。パワーと多彩なネットワークを兼ね備えた知的体育会系集団という人的資産だけでなく、ロングテール対応のオペレーションをいかに効率的に実現し、クライアントの規模やニーズを慎重に見極めながら、人的資産とオペレーションをより効果的効率的に組み合わせた広告会社が生き残るのではないでしょうか。クロス・リソース戦略がこれからの広告会社の経営戦略です。

窓映す 景色で幕引く 15秒

説明するまでもありませんが、窓とは「検索窓」を指します。テレビ広告の最後で、企業名、商品名などの検索を促すメッセージを見る機会が非常に増えました。この仕掛けで最初に話題になったのが、私の記憶では、不動産会社の広告だったと思います。ストレートな企業名、商品名だけでなく、ティザー的な言葉、コンセプトを表す言葉など検索ワードのバリエーションも豊富ですが、聞くところによると検索ワードも、五七調のものが高い効果を示すらしいです。こういったところからも、くどいようですが、日本語を大切にしたいという思いがさらに強くなります。

文字通り セカンドライフは 別世界

アメリカ発のインターネット上の仮想空間が最近新聞紙上を賑わしています。広告会社による仮想空間の「土地」購入に始まり、大学の授業、ラジオ局の放送、市民の座り込みなどなど、様々なニュースが業界周辺で話題になりました。現段階ではその仮想空間の広告価値などは評価が定まっていませんが、個人的にはプランニングの対象として見ることができず、もうついていけないというのが率直な感想です。マス広告とインターネットを組み合わせたクロスメディア展開に、仮想空間をさらに組み合わせたものは、クロスワールド展開になるのでしょうか。デジタルデバイドが多層的に拡大していく予感がします。

広告が 技術とともに 「個追う告」へ

インターネットが普及し始めた当初、One to Oneマーケティングなどの言葉が流行し、個人を特定したメール広告配信などが注目されました。今日はさらに進化し、検索ワードに関連した広告が掲出される検索連動型広告や、インターネット上での行動履歴に基づいてバナー広告などが掲出される行動ターゲティング広告などが注目を浴びています。これらの新しい広告は、「個(人を)追う(広)告」と言わざるを得ません。映画「マイノリティ・レポート」のように、網膜で個人を特定した広告配信が究極の「個追う告」でしょうか。「愛・地球博」のような伝統的な駄洒落テイストの川柳で恐縮です。

ネットでも 受け継ぐ、創る ナニワ風

インターネットの世界では、経済、経営の観点から、ますます一極集中が進むという考え方があります。またインターネット上の世界は、国内だけのものでなく、グローバル社会を前提にしていますが、今後、地域独特の文化を維持、発信し続けていくことが、難しくなっていくという考え方があります。これまで15秒単位のテレビ広告を中心に、いわゆる大阪テイストの広告が確立されていたように思えるのですが、インターネットの世界でもそれらを踏襲、融合させつつ、大阪らしさを創り、発信していくことが大事ではないでしょうか。金融主導のIT企業に席巻された東京への対抗軸を発見したような気がします。

広告会社の経営戦略から、我が家のメールのやり取りまで、様々なレベルを混ぜた川柳になりましたが、変化があるからこそ目に留まり、川柳にしていることを考えますと、インターネットは現在、様々なレベルで私たちの日々の生活を変化させているといえるでしょう。強いものではなく、変化に対応できるものが生き残るという言葉を聞いたことがありますが、変化の波にのり、変化を楽しみながら、正しい日本語や関西の文化など、変わって欲しくない価値を見つめ続けていきたいと思っています。

優秀賞 「CMからみえたもの」             銭 暁波

わずか15秒のCM、一枚のポスター、一つのキャッチコピーは、単なる動画、写真、言葉に過ぎないが、そこには文化、風習、流行、考え、魂が凝縮されていると思う。
日本の地を踏んでから七年余、日本と母国中国の文化や考え方の違いを感じる機会は多々あったが、それと同じくらい共感することもあった。広告を見ての印象もまた然り、である。お互いの違いに驚いたこと、共感したことを、二つのCMから少しお話をしたいと思う。
まず、それは二つともヘアシャンプーのCMである。
一つは、アジアの大物人気女優(中国人)を起用し、アジアはひとつであって日本はアジアの一部、アジアンビューティは内面からの美しさである、と強調。
もう一方は、日本を代表する数人の人気女優を起用し、意図的に前者と対抗しているように日本人としての民族意識を歓呼し、日本人の女性は美しいと主張する。
このグローバル時代に、アジアだ、日本だと、範囲を限定していること自体に大きな疑問を持ったのだが、アジアという舞台設定は日本だけよりも範囲がもちろん広いと思ったものの、考えてみればアジア以外はどうなるのか?と。 アジアも世界の一部ではないか。
また、日本人の女性が美しいと限定的にアピールされると、日本以外の女性は美しくないのか?と思わず穿った突っ込みをしたくなったものである。

この二つの広告主は、かなりグローバル展開に力を入れている。同じシャンプーの特長を訴えるCMの表現で、こういう違いができるのはなぜだろうか。
ヒト、モノ、カネ、情報のすべてがグローバル化し、これからそのスピートはさらに進むであろう、と。その中でアジアの日本?日本人限定意識?を強調するよりも、グローバルの視点でものを考える方が自然ではないか。もちろん、わたしは日本特有のものを否定したいわけではなく、むしろ日本の良いところをもっと世界に広げていきたいという気持ちがある。
最近よく海外、特にアジアで苦労している企業の悩みを耳にする。海外戦略に悩み、撤退する日本企業も少なくない。それに対して積極的、緻密的に活動し、成功している企業も多く挙げられる。
そのポイントは『違いに対する意識と理解』だとわたしは認識している。
なるほど確かに外国と日本との違いは多々存在する。日本人は赴任地、とくに途上国では当国の人より優れているところが沢山ある、と。だが、無意識のうちに自分で壁を作ってしまい、相手のことを理解しようとしない、或いは理解できないと思い込んでしまうところがあるのではないかと感じさせられることが多い。そこで仕事がうまくいかなくなり、ストレスが溜まってしまうと、つい文化が違うなどと口に出してしまい、そうすると何も進まなくなる。
そこで、わたしの心を打った日本と中国で見た2つのCMを紹介したいと思う。
一つは、何年か前に中国で流れていた洗剤のCM。
ある小学校の子供が、自分のために一所懸命仕事を探してくれているお母さんのために、内緒で安くて、汚れが簡単に落ちる洗剤を使い、洗濯物を手洗いしているCMだった。
そのシーン+「少しでもママの負担を軽減できれば」というキャッチコピーが、親子間の純粋な気持ちを鮮明に表していた。
もう一つは、最近日本で見たある企業CM。
親子が車で走りながら、無口に景色を見ているところからそのCMが始まる。父親は景色を差しながら街のいたるところに自社製品が関わっていることを子供に自慢しながら語り尽くす。何でも知っているお父さんを誇示しているのだ。その有能なお父さんに尊敬する眼差し向けながらも途中から子供は「僕のことは何も知らないくせに」と黙り込む。そうするとお父さんは「この間ホームランを打ったんだろう?」と答える。そこで、また二人とも無口になるがやがて少し笑みに変わっていく、その瞬間親子の間の何かが変わっていたのだ。
中国のCMは子供が気持ちを行動で示し、それを相手が分かるように表している。日本のCMでは、お父さんは子どもに対する関心はあっても、ずっと胸の中にしまって、口などには表していなかった。あまりにも両国の美徳とするところがそれぞれの形で表現されているではないか。もちろんどちらのCMも心は通じ合っているわけで、気持ちの表し方が違っていても、純粋な気持ちのやりとりはどの国も同じだと思う。
国と国、違う国の人の間、文化や言葉が違っていても、お互いを信じ、理解する心さえ持ち続ければ、必ず強い絆ができる。
もちろん、それは一方的なものではなく、理解し合うことである。
違いに対する意識によって壁をつくる原因にもなるが、私は、違いこそがチャンスだと思う。
純粋な心でお互いを理解し合い、広い世界での自分として、自分の良いところを生かし、相手の良いところを伸ばしていければ、きっとすばらしいことができるに違いない。
そもそも、最初わたしが日本に留学したきっかけも日本の優れたものを学ぶためである。
この七年間文化の違いなどはもちろんあったものの、出会った人達は皆親切に接してくださり、すばらしいものもたくさん教えていただいた。
異国のことをお互い知りたい、習いたい、もっと交流したい、一緒に何かをやってみたいという人は沢山いる。
その純粋な気持ちを忘れなければ、これからますます進展するグローバル社会で活躍でき、世界は大家族になれる。私はそう願う、そしてこれからコミュニケーションを通じてそれを伝えていきたい。

優秀賞 「2007年夏の恋」             鷲尾 美香子

「甲子園に、恋をした。」
第89回全国高校野球選手権大会のポスターを見た瞬間に、「良いコピーだなぁ。」と思った。毎日、多くの広告を目にするが、心から共感できると思えるものは滅多に無い。
見返りを求めずに誰かのことを想う。例え相手が自分のことを知らなくても。
――それが、恋の醍醐味。

試合終了のサイレンが甲子園球場に響き渡った。甲子園に残る人と去らなければいけない人が決まる決定的な瞬間。数時間前はどちらのチームも同じ位置に居た筈なのに。球場で実際にサイレンを聞くと、あまりの音の大きさに耳が痛い。そして、負けた選手たちを目の前で見ると心も痛い。
泣き崩れる選手たちと、哀しいほどに蒼い空。残酷――。この言葉がこれほどまでにぴったりくるシーンは無いように思えた。
私は学生の時、甲子園球場でアルバイトをしていたので、その残酷な瞬間を何度も目の前で見ることになった。数十メートルしか離れていないところで見るその光景は、テレビで見るより何倍も胸にズシリとくるものがあり、それを一日に何度も見ることは私にとってはあまりにも辛く、試合が終わる度に泣いた。
9回裏2アウト。数点差で負けているチームが最後の最後で1点取り返したけれど、結局追い付くことが出来ずに負けてしまった時などは、可哀相とか気の毒とかそんな簡単な言葉では言い表せない、やるせない気持ちで一杯になった。試合終了のサイレンを恨めしく思い、見ていることしかできない自分の無力さをもどかしく思った。最後の最後まで諦めずにライバルを追い続けた、粘り強さと精神力の強さに心から魅かれた。
胸を締め付けられるような場面は舞台裏にもあった。
8回裏、9回表と試合が進んでいくと、次の試合に挑む選手が球場の奥の廊下に並んで出番を待つ。彼らの側を通ると心臓が動く音まで聞こえてきそうで胸が詰まりそうになった。数時間後にはどちらかのチームが甲子園を去ることになってしまう。今はこんなに意気込んでいても。笑っていても。負けた方のチームを想って泣いた。まだ試合は始まってすらいないのに。
試合終了の、あの耳を突くようなサイレンが永遠に鳴らないことを祈った。心から。ずっと結果が出なければいい。どちらのチームも頑張ったのだから。頑張ったのに負けるなんて理不尽だ。
思えば、高校野球開催期間中、私は甲子園でアルバイト中に泣いてばかりいた。普段の私は平和主義者ではない筈なのに。選手たちの直向に甲子園に恋をする気持ちがそうさせていたのだろう。そして、私も甲子園に恋をしていたのだろう。そのことに、このコピーは改めて気付かせてくれた。

今年も熱い夏が、終わった。
全国4081校の頂点に立ったのは佐賀北高校。特待制度や野球留学とは無縁の県立校だった。18人全員が地元中学の軟式野球部出身で、グラウンドはサッカー部と分け合っているような公立校だ。特待生問題が起きてから初めての全国大会で、そんなごく普通の生徒たちの優勝が何となく嬉しかった。優勝した彼らは皆、世界一幸せそうな顔をしていて胸が熱くなった。
高校野球の魅力――それは、私のように、野球に全然と言っていいほど興味の無かった人を虜にしてしまうところだ。そう、恋に落ちたかのように。それは、選手たちが本当に本当に頑張っているから。彼らの努力が報われることを、例え負けても満足できる試合となることを、いつの間にか我が事のように祈っている自分に気付く。
あの時エラーをしてしまったあの選手はちゃんと立ち直れただろうか、とか、あの時号泣していたあの選手はどうしているだろうかと、今でもふと思い出したりする。でもそんなことは全く心配御無用で、きっとそれぞれの新たな目標に向かって、皆、頑張っているに違いない。

「甲子園に、恋をした。」
このコピーを思い出すと、甲子園球場の蒼い空の下で必死で夢を追いかけた選手たちの汗や涙、熱戦のシーンが次々と浮かぶ。そして、選手たちからもらったエネルギーが心の中に甦る。
2007年夏、私は甲子園に恋をした。そして、沢山の感動を呼び起こす、素晴らしいコピーの力に恋をした。

優秀賞 「手術をするおばあちゃんへ」             山形 俊輔

「今度、私の膝にボルトを入れるんよ。」
おばあちゃんが生涯で初めて手術をした。
私が高校二年生の時の話だ。
前々から悪かった右ひざにボルトを入れる手術らしい。
入院の日、私と両親、それと父の妹夫婦とで、おばちゃんに付き添って病院に行った。入院の二日後に手術があるそうで、おばあちゃんは、個室に入ることに決まった。二階の西側にある部屋で夕陽がきつく、くすんだクリーム色のリノリウムの床が鈍い光を反射させていた。
部屋に入らずじっとしているおばあちゃんに、父が何事かと聞くと、おばあちゃんは不安げに、
「ここはお化けは出るんかね。」
と心配そうに辺りを見渡した。
みんな面食らって沈黙が続き、その間に少し夕陽が傾いた。
お化けが怖いおばあちゃんのために、おじいちゃんが昼夜付き添うことになった。初めての手術で色々なことが不安になってくるのだろう。
入院の準備を済ませベッドに入ったおばあちゃんを見る。
いつも寡黙で、せっせと野菜を売っていたおばあちゃんの印象は、分厚い背中と太い指だった。そのおばあちゃんの顔を改めて見ると、頼りなさげに弱って映った。
急に涙がでそうになって、おばあちゃん以外のものに目をやった。
叔母が買い過ぎたお菓子はベッドの隣の棚にうず高く積まれ、その横に、おばあちゃんが読むだろうと父が置いた新聞がある。父は気付いていないが、それは昨日の日付になっていた。みんなもおばあちゃん以上に手術が心配だった。
窓の方をふと見ると、すっかり夜になっていた。
家に帰り、私はお風呂で考えていた。何かおばあちゃんを励ますようなことをできないか。
口で励ますことが一番簡単そうだが、いかんせんこちらも不安である。
「大丈夫だよ、うまくいくよ。」
と言っているうちに、だんだんと自信がなくなって
「多分大丈夫だと思うよ。きっとうまくいくかもしれないね。」
などという心境になってついには黙ってしまいそうだ。
言葉じゃないもので励ませないものだろうか。例えば花とか。
いやそれも駄目だ。私は小学生の頃、学校主催の地域に住むおじいちゃんおばあちゃんとのふれあい会なるものに、お花を持って行くと喜ぶのではと考え、何も知らずに買っていったのが菊である。その後の失笑の程は、ご想像におまかせする。
そんな感じである。花を買うとまた場にそぐわないものを買いかねない。では、どうしたらいいのだろうか。
どんどんふやけていく指先を眺めながら悩む私に、反り立った崖に挑む二人の屈強な男たちの映像が浮かんできた。
「そうだ、リポビタンDだ。」
私はリポビタンDから言葉を借りることにしたのだ。
「ファイト一発!」
リポビタンDのテレビCMの中で屈強な二人が、力を振り絞る時の掛け声だ。素晴らしい響きである。元気がでる響きだ。まるで手術を不安がっている人を励ますためにできた言葉としか思えない。
広告から言葉を借りるとは、我ながらいいアイデアだと思う。お互いに共通認識があるから、言い出しにくいことも商品さえ出せば代弁してくれる。
しかしながら商品に言葉があるわけではない。広告することで初めて商品に言葉が生まれるのではないのだろうか。その意味では、リポビタンDに言葉を借りたと言うよりは、この広告の製作者に借りたと言うべきか。それにしても、このような言葉を作ってくれるとはありがたい話である。
手術当日。病院近くのコンビニエンスストアでリポビタンDを買うことにした。ファイトが一発だと不安なので、二発購入した。
おばあちゃんに会いに行くと、二日前の不安そうな顔はどこへ行ったのかというぐらいの平然とした姿で、時代劇を見ていた。
肝っ玉の据わったおばあちゃんに戸惑いつつ、私は例のリポビタンD作戦を実行することにした。
「おばあちゃん、これ。元気がでるように。」
照れ臭いやら緊張するやらで、ベッドの備え付けのテーブルの上に置いたら、思ったより大きな音がした。
おばあちゃんはきょうとんとして、やがて笑い出し
「いいんよ気を使わんで。その愛情だけで十分よ。」
と言って、太く大きな掌で、僕の手を包んでくれた。
やがて手術が始まり、無事に終了した。
帰りの車の中で、安堵の表情を浮かべながら和気あいあいとしゃべっている両親と叔母をよそに私はずっと、愛情という言葉を思い出し、あの時の行動を悔やみ、こう思って頭を垂れていた。
「しまった。愛情なのだったら、チオビタにすればよかった。」

優秀賞 「本音で生きる」        齋藤 穂高

何年か前のテレビCM。女優・栗山千明さんの顔のアップでスローモーションの映像。はじめは無音の状態が続き、そのあと栗山さんの声だけで命の大切さが語られる。

命は大切だ。
命を大切に。
そんなこと、
何千何万回言われるより、
「あなたが大切だ」
誰かがそう言ってくれたら、
それだけで
生きていける

公共広告機構の「あなたが大切だ。」というCMです。この型破りなCMを覚えているでしょうか。私は、とてもよく覚えています。なぜなら当時の私は、このCMのターゲットど真ん中にいたからです。つまり、このCMを見たとき鬱病を患っていて、自分の死についてよく考えていた時期でした。大学3年生のころの話です。
鬱の原因は学科の研究室配属で、希望の研究室に入れなかったということ。希望の研究室どころかどの研究室からも受け入れられず、最終的にやりたいこととは全く別のところに拾っていただきました。今考えれば自業自得で、単位を落としまくっていた自分が悪かったのです。しかし、なかなかショックから立ち直ることができず学科の友人や先生を避けるようになっていきました。
正確には、通院していたわけではないので鬱かどうかの診断はありません。しかし、朝がつらく、とにかく起きられない。体に力が入らず、頭では準備して家を出なきゃいけないと分かっているのに、起き上がれない。そして最悪の精神状態で2回目の睡眠に入り、昼過ぎに目覚め、ようやく活動を開始する。活動といっても、人に会うのを避けるためできる限り家で過ごし、連絡を取るのは特定されたほんの少しの友人のみ。あの状態を鬱と言わずして何が鬱だ、というくらい精神的にまいっていました。そんなひきこもりのような生活は8ヶ月間続きます。
順当に鬱の道を歩み、意欲減退・憂うつ感・悲観的、絶望的思い・睡眠障害・食欲低下・性欲減退・頭痛・めまい・首や肩のこり・人を避ける・死にたいと思う、などの症状をまんべんなく経験しました。
なかでも一番怖いのは、死にたいと思う、という症状です。私はひきこもり生活5ヶ月を過ぎたあたりから、死について考えるようになりました。夜何時間も眠れずにあれこれ考えていると、本当に、死ぬイメージが湧いてきます。行動に結びつくまでは行きませんが、自分は死んだほうがいいんじゃないかとか、体のどこをどうやったら死ねるんだろうとよく考えていました。
そんな時期だったからこそ、CM「あなたが大切だ。」を見たとき、まさに自分に言われている気がしたのです。そのころすでに広告に興味を持っていたので一般の視聴者と同じ目線で見ることができたかどうかわかりません。それでも、かなり衝撃的だった記憶があります。
なぜ、このCMが私の心に響いたのか。それは、メッセージの身近さにあるのではないでしょうか。広告の中でも公共の問題を扱う広告ほど難しいものはないと思います。なにかと「地球を大切にしよう!」とか「ポイ捨てはやめよう!」などの説得力のないスローガンに陥りがちです。それでは規模の大きい公共の問題を自分の身近な問題として感じさせることはできません。
私は「あなたが大切だ。」というフレーズを聴いたとき、家族のことを思い出しました。今はもう別れちゃったけど、当時付き合っていた彼女のこととか、地元の友達、避けていた学科の友人、心配してくれていた先生、自分が死んだらこの人たちは悲しむだろうと素直に感じ、独りで悩んでいたことが馬鹿らしく思えました。
「あなたが大切だ。」というメッセージは、これまで語りつくされてきた「命の大切さ」を放っておいて、本音で語っています。だからこそ、自分の事として身近に感じることができたのだと思います。だって、死ぬことを考えている人間にとって「命は大切」とか、「一年で3万人が自殺している」なんてこと関係ないと思いませんか。
このCMを見たから自殺しなかった、なんていうよくできた話ではありません。もともと自殺する勇気なんてなかっただろうし、行動に結びつくほどは追い込まれてはいません。このCMを見てなくても立ち直って、広告の道に進んでいたと思います。
しかし私は「あなたが大切だ。」から多くのことを学びました。命の大切さ、ひとりで生きているわけではないということ。そして、本当に何かを伝えたいときは、語りつくされたメッセージではなく、建て前のなかに潜んでいる本音の部分を見つけなければいけないということ。その本音を凝縮し心を動かす広告制作という仕事に就けたことに誇りを感じます。
今度は私が、あなたの心を動かす番です。

優秀賞 「“10人目”に、なるために」             各務 麻利江

高校時代、通学途中の私の目をいつも引きつける、1つの広告があった。黄色く染まった野球場のスタンドに、片手をあげて応える選手の写真。そこに書かれた文字。『10人目の野手募集』これだけ……たったこれだけの紙切れ1枚に、まさか人生を変える力があるなんて………その時の私は、夢にも思っていなかっただろう。

私は現在、大阪の大学に通っている。しかし地元は大阪ではない。生まれも育ちも長野県である。そのため、今は当然下宿暮らしだ。なぜ、わざわざ長野から大阪の地へ進学してきたのか。夢を実現させるため?それも一理あるが、一番大きな目的は……阪神タイガースのためである。小学生の頃から野球が好きで、好きなテレビ番組といったらプロ野球の実況中継だった。特に贔屓のチームはなかったが、ただ野球を見るのが好きで、暇さえあれば実況中継を見ていた。
そんな私も中学生になり、野球熱も少しずつ冷め始めていく。この時、私には1つの夢があった。ずっと続けてきた書道を生かし、大学を出て書道教員になることだった。高校1年の夏、東京への進学も決意した。そんな矢先、事件は発生する。セリーグの万年最下位チーム、阪神タイガースが18年ぶりに優勝したのだ。18年前といったら、まだ自分も生まれていない時代。その衝撃は、非常に大きいものであった。そして、忘れかけていた野球熱が再び上がりだし、阪神に少しずつ興味を示すようになったのである。そして、“あの広告”を見つけた。

『10人目の野手募集』

何を隠そう、これは阪神タイガース公式ファンクラブの募集広告だったのである。最初に見つけた時、「あ、タイガースの広告だ」としか思わなかった。しかし毎日朝夕見るたびに、気になって仕方がない。確かに阪神は好きだ。かと言って、そこまでファンではない。ファンクラブに入るということは、ファンになったと認めるようなものであって……。私の心は揺れ動いた。
野球は9人でするものだ。大きなフィールドを、野手9人で守っている。そこに“10人目”……つまり、ファンということになるだろう。ファンもチームのうちの1人。選手と一緒に戦う仲間。広告はそういったことをアピールしている。阪神ファン一色に染まるライトスタンドに片手を上げて応える当時の選手会長、今岡選手の笑顔がなんとも爽やかで印象的な広告だ。毎日毎日それを見るうちに、その広告に……いや、今岡選手に親近感が沸いてきた。そしてある朝、私は広告にこう呟いたのである。「10人目の野手に……なります。一緒に戦わせて下さい」と。
熱狂的で有名な阪神ファンの一員に仲間入りしたこの日から、私の人生は今まで想像していたものとは大きく違っていくことになる。次のシーズンから野球熱は全て阪神に注がれ、大阪に知り合いもたくさん出来た。そのうち1人で大阪へ旅行するようになり、初めて甲子園の地(と言っても、ライトスタンドだが)も踏んだ。テレビでの実況中継も多く見るようになり、毎試合スコアまで付けるようになった。夢であった書道教員はスポーツ新聞記者へ。東京進学は、当然大阪進学へと。真っ白な書道用紙に書くものは、“字”ではなく“縦縞”になってしまったのである。東京進学を目指していた娘が、いきなり阪神を追いかけて大阪に進学したいと言い出し両親は相当驚いたが、私の熱意を理解してくれ、現在私は大阪の大学に通っている。

“10人目”になったおかげで、人生は思いも寄らぬ方向へと回転していった。全ては“あの広告”から……。もし私が“ただプロ野球が好きな人”だった場合、今頃どうしていただろう。東京に進学して、違う夢を追っていたのかもしれない。それはそれでまた楽しい人生が、今とは違った出会いがあっただろう。しかし私は今の生活を思う存分楽しんでいるし、阪神を追いかけて大阪へやってきたことも後悔はしていない。
私は来春、大学3回生になる。そうなれば、夏頃からは就職活動も始まってくるだろう。今から4年前“あの広告”に誘われ、私は“10人目の野手”になった。今度私がなりたいものは、企業が求める人材だ。企業の募集する“10人目”になるため、私は阪神を応援しながら日々勉強に勤しんでいる。

優秀賞 「小学生の選挙戦」                          長谷川 雄一

私は広告業界1年生である。まだ右も左も分からず、ただただおろおろする毎日、いったいどこをどうして広告業会に足が向いたのか。小さい頃から美術が好きで「大きくなったら家具職人になるぞ」とぼんやり意気込んでいた私。進んだ大学で広告の面白さを教えてくれる先生に出会うまで、デザインのデの字はあれど、広告のこの字は頭になかった。自分の進路を決めるにあたって、この先生の影響は決して小さくなかった。
しかし、私はもっと昔、もしかしたらそれが広告業界を目指すスタートになったのかもしれないと思うような出来事に出会っていた。よっぽど楽しかったのか、とても鮮明にその時の事を覚えている。

あれは、小学5年生の頃だった。私が通っていた小学校では5年生と6年生に生徒会へ立候補する権限が与えられていた。会長、副会長、書記等、計8人程度で構成される生徒会。権限が与えられると言っても、生徒会役員は定期的に遅くまで学校に残ったりしなくてはならない、よほどやる気がある生徒か、目立ちたがりの生徒でないと立候補なんてするわけもなく、大体が推薦による生徒会役員争奪戦出馬であった。そうして、推薦により半ば強制的に嫌な役を押し付けられるのは1クラスから最低4名であったように思う。私が通っていた学校はクラスが少なく、5年生、6年生あわせて5クラス、つまり20名程度の立候補者が戦う事になる。戦いのルールは全学年投票制で、アピールできるポイントは投票日前日のスピーチ&応援演説と、2枚の選挙ポスターである。投票日の1ヶ月ほど前からこの選挙ポスターは階段付近を彩る。そこは全校生徒が必ず通る絶好のアピール場所だったからだ。
さてこの選挙ポスター、候補者の名前は書いてあれど、どこか普通の選挙ポスターと違う。さすが小学生と言ったところか、候補者の顔の代わりにアニメ・漫画のキャラクターが描かれているのだ。このキャラクターには絶大な効果が秘められていた。正直、このキャラクターをどう選ぶかによって勝敗が分けられると言っても過言ではなかった。候補者全員の、出るからにはそれなりに残りたいという思いと、投票者全員の、今年はどんなキャラクターが学校を賑わせるのかという期待が、地味に始まった選挙ポスターの貼り出しと同時に学校の一大イベントへと発展して行く。

このイベントにはもう1つの戦いがあった。候補者に与えられた2枚のポスター、候補者自身で作る事ができれば問題ないのだが、もちろん全員が絵を描けるというわけではなく、なかには白紙のポスターを前に呆然とする候補者もいたのだ。そこで活躍するのが各クラスに必ず1人はいる美術好きの生徒、彼らはクラスの候補者達から給食の揚げパンなどと引き換えにポスター描きを依頼される。私はその中の1人だった。選挙戦は普段目立つ事のない私にとって大舞台で、少しでも上手く、他の奴らに負けないようにと色鉛筆を手に、候補者が勝つ事を願いポスターを完成させていった。つまり、候補者とは別に、絵を得意とするものたちの戦いが繰り広げられていたのである。ポスター描きには2種類の描き手がいた、1つは自分が描きたいキャラクターを描く人、もう1つはみんなが好きなキャラクターを描く人、である。この選挙戦において前者は残念ながら候補者を勝利に導く事はできない。セーラームーンを描いても男の子には届かないし、ゲームのキャラクターを描いてもゲームをしない子には届かないのである。数少ない後者の描き手を選んだ候補者のポスターには、テレビでアニメ化されている、ドラゴンボール、流浪人剣心、名探偵コナンなど、男子女子ともに認知度?人気度の高いキャラクターが描かれる。それらが似ていれば似ているほど、1年生から4年生までの目に留まり、話題となり、隣に書かれた名前は覚えられ、票を集められるのである。(5年生、6年生はどうやっても自分のクラスの候補者に入れるのでターゲット外だった。)
そのとき私がポスターに描いたキャラクターは名探偵コナンだった。ポスターの前に立つ人に向かって指をさした名探偵コナンには、決め台詞の「真実はいつも1つ!」をもじり、「会長は、彼ただ一人!」と言ってもらった。もじりきれていないが、小学生だった私なりのコピーライティングであった。

思えば、あれが初めて頼まれて作った広告だった。みんなどんなキャラクターが好きか、肌で感じていたことをビジュアルに持ち込み、何となく頭に残りそうな文章を作った。小学生なりに選挙に必要かなと思ったことを実践していっていた。そして極めつけは、投票日前日のスピーチに応援演説者として出ることである。ここで最後のだめ押し、候補者がどんなポスターを貼っていたかを投票者たちに伝える。ここでやっとポスターと、候補者の顔と、名前が一致するのだ、そして応援の言葉を投げかけた後、「会長は、彼ただ一人!」と言う。約20人の候補者から演説を一度に聞く投票者たちは、いちいち一人一人の演説なんか覚えてはいない、何となく印象に残った人に投票するだろう。1ヶ月前から連動させようと考えていた訳ではなかったが、ポスターのキャラクターに言わせた言葉は言わなければならないと思った。それが結果、1ヶ月前からの仕込みのようになった訳だ。そうして私がポスターを描いた候補者は、選挙戦に勝った。彼はめんどくさいとか言いながら勝ったことに満足しているようだったし、私は自分が描いたポスターの前で何人かがワイワイしてなんだか賑わっているのを見ていて心地よかった。これが私の初めての広告作り物語である。

私は広告がそれ一つで強烈に訴えることは難しいという考え方に賛成だ。あくまで広告はお知らせ、繰り返し接することで、やっと薄く記憶に残り、何かの拍子で話題に上ったりして、だんだんだんだん育っていく。私は小学生1年生から4年生までの経験則でウケるキャラクターを選ぶことが勝つことにつながるとふんだ。そしてそれだけでなく、応援演説でみんなの心に引っかかっているであろう言葉を言うことでキャラクターの印象とともに候補者を印象づけようと試みた。正直なところ、彼の勝利がポスターのおかげなのか、彼自身の人望のおかげなのか、またその両方なのか、ただの偶然か、それは分からない。しかし、次の年にもまた、候補者が揚げパンを持ってきたところをみると、ちょっとでも人を楽しませることができたのかなと思っている。

あの選挙戦から12年、なにか世の中に楽しいことを投げ込みたくて広告業界の道を選んだ。最初の反応が薄くても、それが本当に楽しいことであれば話題は育つ、どこかで自分の企画を面白いと思ってくれている人がいる。それに、今はあの頃よりも、話題を育てるための栄養剤はたくさんある。あの選挙のように何から何まで自分で、というわけにはいかなくなったし、世界はもっと複雑で広告はすごく難しいけれども、それ以上に多くの人を楽しませることができる立場に立っているということが嬉しい。今のこの、なんだかんだと陰気くさい世の中、きっと楽しいことは求められている、小学生の自分が何百人かを動かせたのだから、今の立場だったらあのころの何倍の人を楽しませることができるだろうか。広告は誰かの楽しいをつくることができる、自分の仕事は誰かの楽しいに変わる、そう信じて世の中に楽しいを投じ続けていければ幸せ者だなぁ、と思うのだ。

 

優秀賞 「Since 1984ある広告との不思議な並走」             牛木 司

かれこれ四半世紀の長きに亘り、同一商品で、しかもほぼ同じ表現手法で実施されてきた広告がある。それはアカデミー出版社発行の英語学習教材『イングリッシュ・アドベンチャー』(以下EAで略称)。新聞や週刊誌での大スペース広告(たいていはモノクロ広告、雑誌の場合は購入申し込み葉書付きだったりする)でもう20年以上もコンスタントにかなりの出稿量を誇り、大胆なキャッチコピー『みるみるうちに英語が上達する』等でお馴染みのあの広告のことである。
僕は個人的にこの広告および商品と『因縁』とまで云っていい強い関わりを持ってきた。『因縁』なのだからもちろん古臭く、もはやオタッキーなまでの関係だ。今から23年前、新入社員だった僕は東京にいてある家電音響メーカーをクライアントとして担当していた。何しろ新人だったから右も左もわからない状態で、クライアントが新規参入したパーソナルコンピューターの広告制作業務の担当営業をやっていた。当時のPCはまだWINDOWSマシーンが登場するずっと前で、DOS-Vさえでもなく、まだ無名に近かったマイクロソフト社が開発したMSXという統一規格を日本の家電メーカー各社がホームユースマシーン用として採用。担当クライアントはその急先鋒として積極的に自社ブランド商品の宣伝活動を行っていたのだ。但しこのマシーン、業界全体として便利なアプリケーションソフトの供給が追いつかず、ユーザーはBASICなどのプログラミング言語を覚える必要があったりしたため、なかなか普及に拍車がかからない状態だった。クライアントの苦悩もそこにあったわけである。
その当時僕のいた営業局のオフィスには、ワープロがたった1台しか置かれておらず、ほぼ誰も使っていない状態で、最新のハイテクOA機器といえばFAXという時代だった。 そう、1984年というのは、何とキボードを叩かなくても普通に仕事ができたのだ。我々スタッフのなかでもPCに触れたことのある人間など皆無の状態だったから、大切な年末キャンペーンが迫っているというのに、プレゼンテーションはいつも説得力に欠けていた。なかなか表現案が着地しない。とうとう業を煮やしたクライアントサイドから思い切った方針が示された。それは、
(1) ターゲットはマニア層ではなく、PCを使えないことでコンプレックスを感じている一般層とする。
(2) そのコンプレックスを刺激するために、英語学習教材EAの広告手法を参考とする。
という内容。この新方針のもと我々は一気に作業に着手した。
ところが広告が出た後の結果は惨憺たるものだった。購入申し込み葉書付きの雑誌広告を中心に大量の出稿がなされたが、消費者からの反応はほぼ皆無に近かった。クライアントとともに大慌てで準備した苦労も報われず、その後クライアントはPC市場から一時撤退を余儀なくされてしまう。たぶん英会話教材とPCは似ているようで市場そのもののメカニズムが違っていたのであろう。冷静に見ても日本にはWINDOWSマシーン登場以前の段階でマス広告を行う程のPC市場が成立していなかったのだと思う。

僕としては入社後いきなり担当した業務でかなりドラスティックな展開を味わい、今となっては想い出深い経験なのだが、この間EAの広告作品が自分にとってとても重要な業務上の参考資料になり続けていたので、
「このコピー、どう考えても胡散臭いよな。」
「本当にこれで英語が上達するのかな?」
といった心の中の疑問符が日増しに大きくなり、初仕事の悲惨な結果と相俟って、すっかり強烈な負のイメージをこの広告に抱いてしまった。ただ負ではあってもこの時受けた強い印象のせいで、新聞にEAの広告が掲載される度に、
「あ、また出てるな。」とか、「教材の種類、ずいぶん増えてるな。」
といった個人的反応は、いつまでも衰えることはなかった。こうしてEAは、職業人としての僕の意識の中でほぼ違和感なく長い時間を並走していく『伴走者』となったのである。

話はここで一気に20年後に進ませてもらいたい。2003年春のこと、僕の勤務地も東京から大阪に変わっていて、その前年からある外資系のクライアントを担当していた。
当然業務にはある程度のレベルの英語力が要求されていたので、僕は週1~2回のペースで英会話教室に通い、約1年が過ぎていた。当時の僕のTOEICのスコアは650点程度、英会話教室の効果もパッとしない状況だった。得意先とのミーティングでも、自分の言いたいことはある程度伝えられるのだが、相手の言っていることがよくわからない。何度も聞き返したりするので、クライアントの担当者にも失礼な状態だった。僕の弱点は明らかだった。リスニングトレーニングの量を増やさなければならない。
一念発起した僕は、日常生活の中に僅かな隙間を見つけて、英語を聴く時間をはめ込んでいった。就寝前1時間のNHKラジオ講座、週1回放送の大好きだったNHK海外ドラマ『ER』の英語音声での視聴、スカパーCSチャンネルのBBC、CNNの契約(土日の集中視聴)と一気に余暇の時間を削って奮闘し始めた。ところが最初の一ヶ月は気合が入っていたものの、コンテンツの内容が高度なこともあり、リスニング力向上が実感できない。
僕はだんだん嫌気が指してきていた。まあ、よくあるパターンだ。そんなある日、新聞を読んでいたらあのEAの広告に目が留まった。
『みるみるうちに、英語が上達する』
その時僕は不思議ともう20年も前から知っていて頭にこびりついてしまっている筈のコピーに何故か新鮮さを覚えた。まるでいつもしつこく勧誘してくる保険会社のおばちゃんが急に美人に見えてしまったかのように。
「ひょっとしたら、本当かもしれないな。」
多分かなり追い詰められていたのだと思う。すぐに申し込むと三日後にはオーソン・ウエルズ氏ナレーションの『Master of the game Vol. 1』が自宅に送られてきた。料金は一巻4,000円程度。退会は自由という気軽さ。一ヶ月聴いて厭ならすぐやめられるという気楽さが僕の背中を押していた。
さて、その後の僕とEAについては、特定商品のユーザー登場実証広告みたいになってしまうのであまり詳しくは書かない。結論だけを言うと、僕の場合、『みるみるうちに英語が上達する』ではなく、『みるみるうちに英語が好きになった』という結末を迎えた。毎日の通勤時間や出張時の新幹線の中で、僕はとても楽しくこのコンテンツを聴き続け、一年間かけて全12巻を完聴してしまった。コンテンツ自体が小説だから聴いていて肩が凝らないし、何よりもオーソン・ウエルズのナレーションが魅力的だった。僕のTOEICスコアの向上にはその後真剣に取り組んだ『NEWTON TLT 750点』や『アルク860点コース』の方が明らかに貢献してくれたけれど、寸暇を惜しんで英語学習に取り組む中年のオジサンにとっては、EAが心のオアシスになってくれたことは明らかだった。英語学習市販ソフトの大半が、『大量情報・短期集中・ビジネス実用型・高額』を原則としている中、EAは『少量面白コンテンツ・退会自由・比較的廉価』を特徴としているユニークな存在だ。そう、EAはこのユニークネスが売りの商品だったのだ。20年以上も前からその存在を知り、ほぼ一貫して胡散臭い印象を持ち続けていたEAに対し、僕はそれまでとは全く逆の深い敬意を抱くことになった。このTOEICスコア全盛時代に、頑固にその『小説コンテンツ』というスタイルを変えず、胡散臭そうと揶揄されても広告表現スタイルさえも常に同じ。その自信と潔さは賞賛に値するではないか。

さてEAがその広告スタイルを四半世紀も続けられる理由は一体何だろう?
言うまでもなく、EAという商品がその広告投下量に見合う利益をキチンと上げ続けてきたからに違いない。そして間違いなくEAのUSPは、その『小説コンテンツ』の魅力にある。

小説家の村上春樹氏は、心理学者・河合隼雄氏(故人)との対談集の中で、小説の魅力とメリットについて興味深い指摘をしている。それは『対応の遅さ、情報量の少なさ、手工業的しんどさ』だと云う。氏によれば、
(1) 小説は、それ以外のメディアが持つ圧倒的な情報量、伝達のスピードを所有していないが、
(2) 時間が経過して、そのような大量で直接的な情報が潮が引くように消えていったとき初めて小説の持つ三つのメリットが力を発揮する。
(3) どんなに時代か進んでも、人の心を癒し続ける『フィクション』としての小説はなくならない。
となる。大の小説ファンの僕は、村上氏の見解に心の底から賛意とエールを送りたい。
村上氏が指摘するように、人は誰でも現実と自分だけが思い描くことが出来る『物語=フィクション』の狭間を行き交いながら暮らしている。現実(事実)とフィクションは永遠の補完関係にあるのだから、フィクションは決して力を失うことはないのだ。

広告という経済行為は本来、広告対象となる商品やサービスという実体のある事実に、上手で罪のない『フィクション』というコスチュームを着せて世の中に送り出してあげる業(わざ)なのだと思う。だから広告の本来のミッションは至極小説的な意味合いの中にこそ見出すことが出来るのではないだろうか。だが、残念ながら広告スペースという時間的、空間的な制約のせいで、『小説的フィクション』を構築することは困難を極める。それでもせめてそれら制約条件の中で許される筈の『広告的フィクション』を生み出すことは、当たり前の準備と少しの勇気があれば、それほど困難なことではないと僕は思う。
この対談の中で河合隼雄氏が指摘されているように、ビジネスでも私生活でも現代の一般的風潮は小説のメリットとは全く逆の『できるだけ早い対応、多い情報の獲得、大量生産』を目指して動いている。我々広告業界の現場も当然この原則に従って日々悪戦苦闘しているわけだが、広告が効かなくなったと言われて久しい理由の一つが、この原則を安易に受け入れ、むしろ推進する側に身を置いてきたことにあるのではないか、と僕は思っている。先に述べた通り広告とは本来、情報伝達メディアとしては『フィクションの供給源』なのである。そして良質なフィクションを創り出すためには、
(1) それなりの時間
(2) 大量であるよりも、本質に近い情報の発見
(3) 汎用性よりもオリジナリティを求める態度
が、優先されて然るべきなのだ。
書店に並ぶ多くの新刊本の表紙にかけられた『帯広告』が僕は好きだ。商品そのものにわざわざ広告がアタッチされている点がユニークだし、とりわけハードカバーの書籍にかけられたその姿は、まるで何か特別な贈答品を目の前に置いて貰ったときのような、あらたまった気持ちに僕をさせてくれる。『広告的フィクション』を生み出すには、キャッチフレーズやビジュアルといったコンテンツ要素だけではなく、形状や場所といった空間を切り取るセンスも肝要なのだ。
毎年、年末の仕事納めの日。僕は正月用のまとまった読書のため書店に立ち寄り、ゆったりとした気分で時間をかけて書籍を吟味する。一年間たまった心の垢を洗い流す儀式のようでもあり、いつの間にかもう何年も続いている自然な寄り道だ。昨年末は新潮社が単行本を中心に展開していた『読者が選ぶ、今読みたい新潮文庫ベスト○○位』という赤い色の帯広告がとても目を惹いていた。その帯広告につられて僕が買ったのは、ランキング1位宮部みゆき氏『模倣犯』(全5巻)とやはりランキング5位村上春樹氏『海辺のカフカ』(上下巻)。お正月といえば僕の場合イメージカラーは赤、年末の季節感を演出するランキング訴求(総決算な感じ)とのマッチングが心地よい良質な帯広告だったと思う。そう、季節感も当然ながら『広告的フィクション』を生み出す。事例を挙げればきりが無いと思うけれど、別に広告講座をやっているわけではないのでこれくらいにしておきたい。この稿を読んでくれた皆さんが普段の生活の中で素敵な『広告的フィクション』に出会っていただけるように、微力ながら広告人を続けていきたいと思う僕である。

■参考文献とURL
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』河合隼雄 村上春樹 著 新潮文庫
『若い読者のための短編小説案内』村上春樹 著 文春文庫
http://www.eigotown.com(EAのHP)

優秀賞 「十五秒のきっかけ」                江口 晴菜

数年前から私の家ではちょっと父と距離感があって、特に思春期真っ只中だった私と弟はあまり父と話したがらなかった。
考え方とか笑いのセンスとかがどうにもズレていたらしく、会話が噛み合うこと自体がなくって、共通の話題も持ってはいなかったから尚のこと。休みの日や食事中も、父が居れば人数は多いけど逆に静かなぐらいだった。
そんなある日、父の居る静かな夕食。付けっぱなしにしていたダイニングのテレビから軽快な音楽が響いた。
当時、私の好きなアイドルグループが出ていた、一番お気に入りのガソリンスタンドのコマーシャル。ちょっとした笑いが含まれていて面白い上に、何個かバリエーションがあって、なかなか全種類コンプリートできないからつい意地になり、イントロの音楽だけ勢いよく振り向いては凝視していたコマーシャルだった。
もちろん私はご飯を掴む箸も置いて、テレビにかじりついた。今回のものは前回見たのとはシリーズが違うのか、見たことがなかったから余計に必死。
じーっと私がテレビを瞬きもせずに見つめていたその時、何の関心もないようにビールを呑んでいた父が、ポツリと口を開いた。
これ、お前の好きなヤツちゃうんか。
一瞬、何を言われたのか分からず、テレビから目を離してしまったせいで最後のシーン見逃してしまった。あぁっ、せっかくのオチがっ。
そうやけど?
ちょっと苛立ちながら返事をすると、父は缶ビール一缶で酔っているのか、変なふうに笑って。
この前のより、なかなかおもろいやんけ。
それだけいって、新しい缶ビールを開けて呑みだした。
この前というのは、以前に放送されていた別バージョンのコマーシャルのことを言っているのだろうかと、私は首を傾げた。
五人のアイドルグループのうち、私が好きだったのは一番年長で、どちらかというとお笑い担当のような人。この前のコマーシャルに彼は出演しておらず、父が言ったおもろい今回のに彼は出演していた。
私はすごく驚いた。
父がちゃんとテレビを見ていたこと。私の好きなアイドルを知っていたこと。その中でも私が一番好きな人まで知っていて、彼を褒めたこと。意外と、私のことを見ていたのだということ。
正直、嘘やろ。とまで思ったけど、やけにニヤニヤしている母と目が合って、そういうことよ、とばかりに笑われてしまえば認めるしかないのかと。
せっかくのおもろいコマーシャルは見逃してしまったけど、毎日会っていたはずの父の顔を、久しぶりにじっと見たような気がしたことは、なんとなく覚えている。
まだ少しぎこちないのは仕方が無いけれど、それが今では日常となりつつあって。前よりかは歩み寄ってみようかと、気まぐれながらも考え中。
変化のきっかけはたった十五秒。
だけど、これから先はきっと私次第で良くも悪くも変わっていくはずだから、このきっかけを活かせるようにしていきたいなんて、珍しく真面目に考えている。
こうして、夕方六時三十分。たまたま家族の揃った食事中、今日も私はテレビを付ける。ニュース、バラエティー、そしてたくさんのコマーシャル。どんな短いコマーシャルのシーンさえも、話のネタは山のように転がっていて、そこから巡る家族の会話のきっかけとなることを知ったから、一秒たりとも無駄にはしたくない、大切にしたいものになりました。

優秀賞 「茶柱の思惑」                山川 ゆう子

計画どおりにコトが運ばないということは、よくある。予想しなかった方へ転んで、新しい景色が見えたりということもよくある。
ここで、ちょっと親の話をしたい。
私の父は、基本、気が弱い。だから、関西伝統文化の値切りができない。一人で買いに行かせると、必ず元値で買って帰る。景品なんかでごまかされて、にたにた笑っているが、安価で不要な景品を貰うなら、その分値引きしてもらえばいいのにと思うが、それができない。母が一緒の時は、母に頼る。母は出しゃばらず、スマートに鮮やかに、値切る。故に、幼い私は気づかなかった。父が値切れない事を。母は父をたて、陰ながら、値切るのだ。冷蔵庫もテレビもレンジも。父の不甲斐なさが発覚したのは、車購入時。父と母は喧嘩中だった。だから母は、どれを買うかだけ決め、後は知らんぷりで店内を散策していた。「お母さん」父が猫撫で声で、母に手招きをした。母の華麗な交渉術を目当てに。帰り道、母は怒っていた。「いっつも偉そうな事ばっかり言って、嫌な事は人にばっかり押しつけて。」
父は内弁慶でもある。
仲人の話が来た。母を通しての依頼に、「そんなんできるか」断れと言っておきながら、結局、直接頼まれ承諾。母が文言を考え、練習につき合い、時間を測り、頭のてっぺんから爪の先まですべて神経を使い、段取り良く父がつとめあげた。
外で気が小さい人は、内では気が大きい。
私が小学生の頃、母が初めて高熱を出して寝込んだ。そんな母を見るのは不安だった。なのに、父はその夜、家を空けた。息絶え絶えに引止める母に、「わざとこの日を選んで、風邪引いたんやろ」と信じられない暴言を吐いて出掛けて行った。
こういう人は、当然、気も利かない。
母に誕生祝をしたことがない。プレゼントもねぎらいの言葉も全くない。日にちを覚えているかどうかも疑わしい。
と、ここで、母の愚痴が入る。
あの人は顔で得してる。お母さんみたいな顔は損やわ。気ィ強くて、あの人を尻に敷いてるようにみえるもん。
そう、母は縄文顔で、父は弥生顔である。目鼻立ちのはっきりした母に対して、あっさりすまし汁顔の父は、優しく大人しそうに見える。
と、ここで、母の嘆きが入る。
あの人が脳梗塞で倒れた時、必死に看病して治させてもらったけど、もし、私が倒れても私がやったようにはしてもらわれへんやろうなあ。病床で心配事ばかり増えて。倒れる時は、もう覚悟しとかなあかんわ。
半身不随不可避と診断された父が、何の後遺症もなく退院できたのは、母による献身的な看病による所が大きい。病床に居ながら、何不自由なく、何の雑念もなく、安心して心地良い生活ができたのは母のおかげである。「誰の世話にもなってない。自分で治したんや」と、しかし、父は言い放った。売り言葉に買い言葉ではあったが、言って良い事と悪い事がある。
あとさき考えず行動するのが父である。これを言えばどうなるかなど、頭にない。何手か先まで考え、最悪の事態を念頭に行動するのが母である。相手の心を踏みにじるような事は言わない。理不尽さはあっても、急所を突くことはない。こんな二人だから、しょっちゅう、衝突がある。
と、ここで、母のつぶやきが入る。
多分、神経使いすぎて、私の方が先に死ぬんやろうけど、一度もあの人から感謝の言葉なんて聞かれへんまま、死ぬんやろうなぁ…。
そんな事…ないとは言い切れず沈黙。
と、ここで母の宣言が入る。
離婚するわ。あの人、私が離婚なんてでけへんと思ってんねん。あれでも、自分の事、良いと思ってんねんから。私がおらんようになったらどうなるか思い知ったらええわ。私は一人でもちゃんと生きていけるけど、あの人は無理。
確かに、母はこれまでよく頑張ったと思う。しかし、情深いのが母である。未だ、離婚には至っていない。が、ささやかな抵抗はしている。値下げ交渉ボイコットの断行である。今も静かに続行中である。
いやぁ、ラクやわぁ。値切らへんかったら。店員さんの嫌な顔、見んで済むし、心臓もドキドキせんで済むし。
私はてっきり、嬉々と値切りをしているのかと思っていた。
お母さん、ほんまは全然、気ィ強ないねんから。ただ、感謝して手ェ合わせて、頑張らさせてもらってるだけ。
電子辞書も自転車も、元値で買って来て、すがすがしい顔をしている。
今まで頑張って値切ってきたけど、それは家族の為っていう思いがあったから。でも、全然、感謝されへんし、苦労して値切った甲斐がないから、もう、せえへんねん。
母は、これまで自分自身の為に何かをした事がないという事に気がついた。遊びにも行かないし、自分の趣味を追及したりもしない。母の人生は、家族の為だけに費やされてきた。
と、ここで母は言う。
洗濯するやろ、掃除するやろ、気持ちええなぁて思う。でも、それも感謝されてこそやと思う。何にもしてないなんて言われて、やり切れんくなるわ。
と、いう時に、TVでこんなCMが流れた。老夫婦の話。おばあさんがお茶をいれる。おじいさんが自分の湯のみの茶柱に気づく。おばあさんが席をはずす。その間におじいさんは、自分のとおばあさんのとを交換する。戻って湯のみを手にしたおばあさん(あ、茶柱。)おじいさんは優しい目をちらりと向けるだけで静かに時間は流れる。
こんな、さりげない優しい愛が父にあるだろうか。
私は計画を練った。まずは形からだ。母の誕生日が近い。父と母は相変わらず喧嘩中だが、第一歩は形から。誕生日当日に、ケーキを買って来るよう父に頼む。母の事は言わない。喧嘩中の父に言えば、拒否されるのは目に見えているし、大体、今まで祝った事がないのだ。父は「よし、わかった」何やら嬉しそうだ。?誕生日と気づいているのか?果たして、誕生日当日、父は買ってきた。よし、よし。後は何も言わずとも、さりげない優しさに気づいて良い方向へ転がるはず。…ん?母がミョーな顔をしている。梅干を食べたのにメロン味だった、というような顔だ。「ケーキ買って来てるけど…食べる?」…うん。何か変である。お通夜のよな空気の中、ケーキを食べた。二、三日後、母が言った。
何で、あの人ケーキ買って来たかわかる?堂々と威張れるからやで。
目論見はずれる。そりゃそうだ。喧嘩腰のまま、ケーキといってもムリだ。
次。すり込み作戦。先のCMが流れる度に言う。いいなぁ。ああいう優しさ。いいなぁ、ああいうさりげなさ。いいなぁ。ああいう人。
次に茶柱の立ちやすい安いお茶を探す。隙を見てはお茶をいれる。このお茶、健康に良いんやって。なかなか、茶柱は立たない。十中一二。いれる前の茶葉の雰囲気で立つかどうかわかるぐらいになってきた。茶柱入りを父の方へ。そして母には茶菓子やら何やらを取って来てと頼む。母の湯のみに茶柱が立っていれば、すぐわかる。母は黙って(喋れば福は逃げる)茶柱を紙に包む。嬉しそうに。しかし、何度かの試みも失敗。父は気づかない。こんな回りくどいやり方で、私は何やってるんだと自己否定しかかった時、父は、茶柱に気づいた。そして譲ったァ。交換したァ。私のと。私のと!?一緒に席をはずしていた私の前に、プカプカ浮いた茶柱が、やあと言うておる。ちゃうやん。ちゃうやんか。ちらと父を見ると嬉しそうにすましておる。気づかぬふりで淡々と茶柱を紙に私は包んだ。
空気読めんとは思っていたが。いや、私が悪いのだ。この茶柱は、親の愛だ。そういえば、母が初めて風邪で寝込んだ日、父は、湧き水を汲みに行ったのだった。体の弱かった私の為にきれいな水を飲ませようと。その日、知人にその場所まで連れていってもらう約束をしていたのだった。
そういえば、父と母の喧嘩の火種も、元はといえば私だ。反抗期の私に手を焼いて。父が倒れたのも、私が引起こした心労からではないか。
今まで、二人の喧嘩に油を注ぐような事はあったが、進んで鎮火するような事はなかった。本当に感謝が足りなかったのは、私ではないか。
紙に包まれた、ちっさい茶柱を眺めながらありがとうとつぶやいた。大切な事思いださせてくれて。

優秀賞 「悟るがァ!」」           笹谷 豊子

えっ!うーそー。
和歌山県のあんぽ柿が、渋柿の品種「たねなし柿」を乾燥させた半生タイプの干し柿と言うことを…九十二才になる大和撫子の姑はんが、もうすでに知ってなさったとは!
なんで、なんでやのん!
私は今、広告を見て知ったとこなのに?
「うっくっくっく。うっくっくっく。」
「もう!姑はん、何がおかしおす。」
「へえ!そうかて。
きのうの新聞の折り込み広告にかてでとりましたがや。
それにしても、あんたさん!
今、情報時代どすえ・・・遅れてどないしますのや、頭脳が退化しますがゃ。」
「そりゃそうどすけど・・・。」
「それにしてもなんぼ姑はんでも、言うてええことと悪いことがありますで・・・頭脳が退化やて!」
「わては、インターネットと言うもんはよう解からんがア・・・、新聞、雑誌、テレビCM広告で情報をつかんどりますのや。
今、北から南から、ご当地の味、とりよせ全国便にはまっとりますのや。
島根県の・・・ほれ!この間、世界遺産に登録された石見銀山のおくりもの、天領そばはなア、甘皮までひきこんだそば粉を使用し、そばの持つ独特の香りを大切にしてるそうじゃ。それに、保存料を使ってないからそば本来の風味を存分に楽しめるそうじゃ・・・絶品やそうや、そんで今、取り寄せてますのや。」
「へえー。」プリーベリー、ヘナシャンプーまア!でるわ、でるわ・・・この博識。私はまたしても姑はんに寄り切られた。
正直、驚いた。
活き活きと話す姿、迫力・・・九十二才になるのに姑はんは広告の心情報を見事に自分のものにしていた。
北信濃の方言「こずく」の意味までも・・・
いや、はや・・・この博識、この知識欲にはたまげるなんの!
九十二才と言えば・・・年寄りも年寄りに入るのに、年を重ねるほどに若返えり輝く姑はん。何にをしても、この年でも姑はんの足もとへもおよばん嫁のわたし。
(なんで?なんでじゃろう!)
―そうや、広告や、
これや!
私はふいに悟った。
(うっくっくっく・・・姑はんに追いつけ追い越せるかも。)
私は一念発起した。
時間を作っては、新聞、雑誌の広告に見入り、インターネットも駆使した。
広告が私の頭脳を刺激し、知的興奮を呼び覚まし、忘れていた知識欲の楽しみが蘇ってきた。
「感じる、頭脳が若返えるのが・・・感じるがや。」
知的好奇心を満たすことが、これほど生活に充実感をもたらしてくれるとは・・・。
気持ちも明るく若さも戻ってきた感じ。
そして、「変ったわね。」「えろう若くなりはって。」と言われることが多くなった。
広告の心・知識・・・それを活用する知恵こそが、私の守札と気がついた。?・・・・・・・
嫁と姑なのに?嫁の私が姑にぞっこん!(なんで、いつのまに!なんでじゃろう!)
広告が姑はんとふれあいをも、もたせてくれていたのだ、広告って!いいもんだ。
姑はんの広告に対することがわかった瞬間でもあった。
広告が頭脳を刺激し、知的興奮を呼び覚ます。知識欲の楽しみ、知的好奇心を満たし・・・心に充実感をもたらし、生活にははりがでてくる。これが姑はんの博識、口八丁手八丁の若さの秘訣、奥義だったのだ。
五十才で出会えた私の守札・・・今も心に染みついている。
わが人生の宝物のひとつである。
今では、どっちが世話をし、どっちが世話をされているかわからない嫁と姑だが・・・
今日も縁側で豆をむしりながら、仲良く広告談話に話しがはずむ二人なのです。
「姑はん、この間沖縄県の島野菜が広告にでとりましたで!
ゴーヤ、ミネ?何とかタロイモ、にがな…沖縄野菜が長寿をささえとると。」
「うっくっくっく、ミネ?はミネストローネじゃ、広告にでてましたえ。」
(えっ!うーそー、それにしても・・・またしても先を越されてしもうた!)
「そう、そうどすか。
沖縄野菜を食べると、体の中でカリウム上昇して、ナトリウム(塩分)が低い沖縄料理の組み合わせで高血圧予防に一石二鳥の効果あるそうどす。」
「ほな、今晩は豆腐チャンプル、パパイアとエビ炒め、タロイモりんがくにしまひょ。島野菜の広告の野菜を買いに行きまひょ!あんたさんも、なかなかの者になりやしたなア。」
(うっくっくっく…、姑はん!嫁は姑に似ると言いますがァ・・・)

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